まぎかる゜火葬場

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感想『映画プリキュアオールスターズF』オールスターズFの"F"は"Fear(恐怖)"の"F"

※1回目の鑑賞後に即書くつもりがズルズルと伸びて書きたいことが増えすぎた結果、殴り書きがひたすら続いて俺自身もしんどい記事なので(いつものこと)、相当時間がある人以外は回れ右しよう!!!!!!

 

激動の鑑賞から、ゆっくり噛み砕き…ようやく落ち着いた。いや忙しくて書くのが遅れただけなんだけど…。*1例によって前置き長いです。あと何がとは言わないが、濾過を行ってない記事だから…気分悪くなったらブラウザバックして、この記事のことは忘れて健やかに生きてくれよな…!

 

このブログでもいつの間にか(?)ウエイトを大きく占めまくっているプリキュアシリーズ。今年度の作品として放送中の『ひろがるスカイ!プリキュア』でシリーズが遂に「第20作目」となったため、2023年はとにかく「プリキュア20周年イヤー」*2に時間と財布…そして感情を管理されまくっている。

ひろプリのエンディングで歴代主人公が登場する…というのは似たようなことを約10年前のハピチャもやってたので、そこに驚きはない。
そこからがすごくて、プリキュア展だの、広告ジャックだの、プリキュアパレードだの、オトナプリキュアだの、Dancing(男子ング)だの…そして何より『魔法つかいプリキュア!』の続編………スマプリからシリーズを見始めて早10年以上になるが、こんなにも怒涛の供給が行われるのは初めてだ。15周年はここまでじゃなかったよな?

それに加えて、オトナプリキュアに備えて、これまでノータッチだった『5』『5GoGo!』を毎日1話ずつ見ていく形で詰め込み履修を始めたり…現在新たに履修中の『S☆S』も併せて、とにかくプリキュアに向き合う時間が増えまくって大変だ。「嬉しい悲鳴」という言葉で誤魔化すつもりもなく、本当に大変でしんどい。ちなみにこの記事の執筆に時間かかりすぎて、S☆Sは実はもう見終わったのだが、まだ見終わってない前提で進めるよ!!!!

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で、そんな中で20周年記念施策の1つとして、9月13日に満を持して公開されたのが、そう…『映画プリキュアオールスターズF』である(本題)

 

まぁ…5年前の例(オルメモ)を考えれば、流れ的に20周年記念作のプリキュアオールスターズ映画をやるのは明白だった。そりゃやるしかない。

しかし、ポスタービジュアルは驚きしかない。なんだこの人選は。現行作が5人全員なのはともかく、プリキュアも数があまりにも増えすぎているので、直近4世代が主人公+追加戦士に絞られてるのは、まぁ…わかる。
周年記念作とはいえ、これまでのオールスターズ映画で散々スポットライトを当てられたであろう初代〜ハピチャをメインにしないのもわかる。

それ以外は、主人公の春野はるか(はるはる)や実質的な主人公の1人と言っても良い羽衣ララ(オヨルン)を除き、絶対的メイン格とは言いづらい謎の人選で驚いた。特に他のキャラを差し置いてピックアップされている琴爪ゆかり!なんなんだお前は!

一方で参加スタッフは「絶対にここで決める」と言わんばかりの座組だった。数が多いので絞るが、タナカリオン監督、そして脚本はあの田中仁さん…!いずれも確かな実績を持っており、俺も何度も心を揺さぶられた人達だ。

しかし、1本丸々のオールスターズ映画を手掛けるのは初………いくらこの強固な座組でも、20年を経て要素が膨れ上がりまくったシリーズを満足に描けるのか?70分という限られすぎている尺で…?
正直、俺は厳しいと感じる。メンバー絞っても何人おんねん…。

まぁでもインタビューを読む限りでは、相当の試行錯誤と苦労を重ねて作られた作品だということは間違いないわけで、少なくとも「駄作」になることはないという確証はあった。前述した選抜メンバーの組み合わせも納得が行く説明は得られた(大体オタクの考えてる通りだった)
しかしだ…しかし、それに俺の感情が追い付くかは別。「この作品ようできとるな〜」と理屈では思いつつも、無感情で劇場から出てくる経験は、これまでにもたくさんあった。本当にこれが嫌だ。周りのみんなは強い感情を抱いて良い思いをしてるし、その理由はわかるのに、何故か俺はそうならなかったというのは、嫌味でも何でもなく悔しいものである。同じ感動を…味わいてえんだよ…!

 

という感じで観る前の所感だけで、長々とアホみたいに書いちまういつもの悪い流れから脱出しないといけないので切りますが、とにかくそういう懸念とかもあったので、まぁ…ハードルを下げて映画に挑んだわけだが…。

 

「F」は「Fear」

焦り、慟哭、衝撃………そして使い物にならなくなる俺の喉………。
最期に残ったのは…そう…「恐怖」だった。

一体…俺はこの映画で何を見せられてしまったんだろう。脳や心臓が揺さぶられるどころではない。
一緒に鑑賞しに来た両脇のフォロワーや前後の他のファンに迷惑をかけないよう、とにかく、喉元に怒涛の勢いで込み上げる何かを抑えないといけない…抑えないといけないのに………。

漏らしてしまった………俺は無力………何もできなかった………。上映終了後も、しばらく立てない死体になっていた………。
多様なプリキュアによる多様な感情が目まぐるしく飛び交い、処理しきれない俺の中に最後に残ったものは、やはり「恐怖」としか言いようがなかった…。プリキュアオールスターズFのFは「Fear」のF…。

 

前半パート

やっぱり…尺が明らかに足りていない。4チームに分けて、それぞれ別作品のキャラ同士の絡みも描いているは描いているのだが………大分駆け足気味である。

ほとんどの目玉は予告編段階で既に見た物ばかりで、とにかくダイジェスト的に進むところも目立つ。
久々のメンツが動いているところを見られたり、懐かしい劇伴などもあり、感慨深い気持ちにはさせられるが、だからこそ4チームの冒険中の日常をもっと見たかったと言わざるを得ない。

スカイチームは肝心のプリムが…まぁ何となくこの人が黒幕なんだろうなというのはわかるが、プリキュアとしてみんなと和解するみたいな流れになるんだろうから、もっと日常にちゃんと絡ませて欲しい。ほぼ無表情で何を思いながら遠くからソラ達を見ているのだろう…。

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中盤パート

そんなこんなでまだ尺はあるはずだが、もうラスボスとの決戦場になりそうな城に到着。アーク達は映画の敵キャラにしては、あまりにも無個性すぎるというか、意図的にそういうデザインにされてる感もあって、これはやはりプリムが黒幕なので前座として設置されてるようにしか見えなかった。プリキュア一行が辿り着いた街も明らかに「作られた」感が強調されている…。

いや〜〜〜遂に明確な「悪役」のプリキュア*3登場か〜〜〜やりやかったなァ〜〜〜………と複雑な心境を抱きつつ、そして実際にそうだったわけで、プリムが真相を明かすのだが………。

 

 

 


(落ちてくるミルキィローズ)

え…………………

 

は………え……………………?

 

(死屍累々のプリキュア達)

おい、待ってくれよ………おいおいおいおいおいおい

 

(断末魔をあげるフェリーチェ)

ちょっと…ちょっと…待って………え………???

 

(粒子分解される地球とプリキュア達)

待てや!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 


慟哭………絶望………「死」………

踏み躙られる…俺の中のプリキュアシリーズが踏み躙られた………????

2017年、長きにわたって俺の心を炙りまくった奇跡と魔法と祝福も………2021年〜2022年、俺の心を焼き尽くしまくった真夏の太陽達も………全部………全部が文字通り、灰と化した………???

手を繋いで立ち上がろうとするプリキュア達なんて、こんな場面では記憶から消し飛んでしまう。俺の脳にこびりついて離れないのは、中央で白化した珊瑚…同学年の太陽と人魚を誰よりも近くで見守り続け、最後の別れでは2人に涙を流してくれた珊瑚………。

そんな彼女達を支えたり、時には拳で殴り合ったプリキュアじゃない人達も………全て「死」が一瞬にして訪れてしまった。記憶に新しいのぞみ達によって呪縛から逃げられた気の良いハチ怪人も…俺がまだ最後まで行く末を見届けてなかった2人組の戦士も………。

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目の前に広がる光景の現実性をどうしても脳に叩き込む余裕がない。実際、上述の感情は鑑賞中にここまで細やかなわけがない。しかし、押し寄せる感情自体は本物だ。

そして世界を文字通り踏み躙ったプリムが明かした真の目的、そしてその踏み躙った物で作られた広大な世界と小さな「キメラ」について、間を入れずに明かされる。喉元に手を突っ込まれる気分にしかならない。

 

そんなことをして良いのか、本当に。お隣の某仮面特撮でもここまではやらねえよ…。
終末、退廃………プリキュアで地球が大変なことになるのは別に珍しいことではないが、根本をどうにかすれば「元通りになる」…概念的な破壊がほとんどだ。
だがシュプリームが行ったのは、血が出ないだけで全世界規模の殺戮と同義である。しかも肉片からいらない物は捨てて脈絡のない何かに繋ぎ直してる。こんなグロテスクなことがあるのか。「恐怖」だ、それしかない。

同時にシュプリームの目的から、この作品の着地として方向性は当然見えてくる。
これはプリキュア性がハリボテが故に間違った糧を得ようとする「偽物のキュアシュプリーム」をその名の通り「至高」のプリキュアにしていく話なのだと。

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後半パート

破壊された世界が再構築される。作中だけではなく、俺の中にあるプリキュアも。

冒頭にも触れた通り、この映画を観る前の懸念は、5年前のオルメモを超えられるのか、それとも違った何かを果たして見せてくれるのだろうかという部分。

オルメモはプリキュアが積み重ねてきた15年分の記憶、そして視聴者が積み上げてきた15年分の思いを、記憶も思いも「空」のまま捨てられ満たされないが故に暗躍する敵にぶつける話だ。
劇場でこの作品を観に行った時のことは、よく覚えている。当時はプリキュアシリーズに対して今ほど深く「噛み砕く」ということはなかった。でも噛み砕かないで作品を飲み込んでいた当時の俺でも、それはそれで感じる物はあったわけで、オルメモは俺の記憶と思いにも呼応してくれた。劇場からは干からびた状態で出てきたことは容易に想像できるだろう。

 

Fはどうか。
ダメに決まってんだろ!!!!!
ひろプリ序盤のましろがソラの手を取ろうとする「ふたり」の軌跡、まぁまだ良いよ。現行作やからな。

和実があまねに問いかける「ふたり」の軌跡、おい!!!!!!!!!!俺がデパプリで初めて来ちゃったシーンやないか!!!!!

まなつとローラが「再会」する「ふたり」の軌跡、コラ!!!!!!!!!!!!!やめなさい!!!!!お前!!!!!?!!??!!??!各作品への感情を掘り起こしてゴリ押すのやめろ!!!!!!!そんな泣かせるぜ〜〜〜ホラホラホラみてえな安易な演出に俺は屈しないぜ!!!!!??!??!?!過去作の感動シーンを垂れ流せば俺が…な………ななな泣くとでも…!!!???!?

 

ヒープリ終盤と5気球回の「ふたり」
俺「ミ゛ッ゛」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

覚えていない。後のことは記憶が曖昧で覚えていない。
何を見せられたのだろうか。

なんかワッ〜って画面がいっぱいだった気がする、うん。とりあえず2回目の鑑賞は比較的落ち着いて観れたので(落ち着けるかバカ!!!!!!)、今ある記憶は2回目以降の鑑賞から取り出した物。それでも曖昧。

 

愛を司る戦士達が真っ先に助けに来てくれた気がする。特に今年で10周年で…MAHOを見るまで俺の中のウエイトを占めていた作品。でも昔すぎて内容までは忘れてしまったため、その後の作品達に上塗りされた作品。「色々あった」…そうだ…確かに色々あった…俺も忘れてたけど、確かに当時の俺が呼応した「ふたり」のシーンが目の前に映し出されている。忘れてなんかなかった、忘れるわけがない…こんな印象的な溶岩っぽいロケーション…。


幸せや笑顔を司り、愛の恵みを象徴する想い人への憎しみと向き合う「ふたり」のシーン。
なんて…なんて真摯なんだよ…。シリーズ10周年記念作として始まったこの作品は…お世辞にもファンからの評価は良いとは言えない。「愛」が故に登場人物は理屈的ではなく理解しがたい言動を取る。見た目のポップさとは裏腹の愛憎劇が朝に繰り広げられていた(という印象が根付いてる)
作品を適当に見ていた当時の俺は深く考えなかったが、それでもこの作品に心を打たれた人は僅かながら観測できた。SNS上はもちろん、例えば作品に強い感情を持っていなければ表現されないであろう同人誌即売会などでも…。それを受けて、もう1回向き合いたいと考えている作品なのだこれは。
それが今、目の前にデカデカと映し出されている。他作品と比べれば人気が圧倒的に低く、二次展開も圧倒的に薄かった。そんな作品だからこそ、積年の何かを晴らすように、そこに描かれた「愛から成り立つ苦しみ」をしっかり映し出してくれる。その事実に俺はひたすら泣き崩れるしかなかった。

愛や幸せ、笑顔はプリキュア達だけの物ではない。かつて「敵だった」キャラクター達も同様だ。
俺もまだ見ていない作品だが…なぜか知っている。シリーズにおいては初の敵として登場した少女が「プリキュア」になる前後のシーンだ。*4
そしてまだ見ている最中なので行く末はわからないが、シリーズにおいては初の敵として登場した「ふたり」の少女が、もう「ふたり」の少女によって「光の戦士」になる前後のシーンだ。

そしてプリムはその大元である「大空の樹」でソラ達と初めて出会った。まなつというキャラクターの根源である「自己紹介」もここであり、両サイドが同じプリキュアとして初めて出会ったのはこのタイミングなのだ。*5

 

もう答えは明白。プーカが掘り起こした一連の記憶は、上辺だけのプリキュアになった存在に対して、本物のプリキュア達が20年の中で完成させてきたそれぞれの「プリキュア」を叩き込むために映し出されているのだ。献身、結び、憧れ、現在、イマジネーション…未来、異なる価値観の対立、願い、夢、希望、絶望、愛や笑顔も幸せも憎しみも…全てがプリキュアを形作った要素。それらを「至高」に流し込む。

それでもプリムは「仲間が多ければ良いんだろう」と最後まで「無理解」を魅せた。復活したプリキュア達がここまでやって、尚のこと…プリズムも思わずツッコミに入るわけである。

俺は正直、プリムに対して当然、嫌悪感を一度持った。当たり前だ。スマプリから10年以上…もう総数で見てしまえば相対的にジジイみたいになってる俺の中のプリキュアを全部踏み躙って、それでも彼女達のことがわかっていないのだ。じゃあ何のために踏み躙られたんだ。

でも観終わった後は、好きになってしまった。シュプリームを見るとドキドキしてしまう。おかしい、明らかにおかしいのだ。俺の好きな女達を一度は殺した存在だぞ。なんで好きになれてしまうんだ。理屈じゃすぐにはわからない。でも俺の感情は叫んでいた。

 

今思えば当然だ。プリムは半分、俺だったのだ。
俺だって真っ先に駆けつけてくれた博愛の戦士のことを大方忘れてたし、愛の恵みと憎しみを描いた作品のことだって当時はあまり真面目に向き合わなかった。

それに加えてプリキュアシリーズはどんどん戦士の数も増えていくし、多様化していくし、作品の総合的な質が高まる度に、心が焦がされていた過去作も今の作品に上塗りされてしまう。

シリーズを絶えずに見続けているファンですら追いつかないのに、プリキュアが人気らしいと知ることを始めた新規層が果たして「プリキュアとは何か」「プリキュアらしさ」を本質的に感じ取ることなんて出来るのだろうか。

だからこそプーカは世界を元に戻す際に、自分が見てきた本物の「ふたり」達、つまりシリーズの原点を中心にした記憶をシュプリームに叩き込む。もちろん、悪の存在が光に転化する原点であるS☆S、つまり最後の「ふたり」も叩き込む。「ふたり」じゃなくなり、以降のシリーズの方向性を決定的に変えた『5』で見せる最初のシーンがわざわざ「5人」ではなく、主人公と妖精の「ふたり」が気球で夢について語り合うシーンなので、徹底している。

 

しかし、ファンもそうじゃない人も知っている通り、プリキュアシリーズは「ふたり」ではなくなった。止められない拡がりを見せるようになり、プーカの繋ぐ記憶も自然とそれに呼応したものになっていく。
シュプリームの眼の前に現れるのは78人の多様すぎるプリキュアと変わっていく歴史。もう「ふたり」どころではないし、手を取り合って立ち上がる様子なんて頭から吹っ飛ぶだろう。だから20年で拡がりまくった「プリキュア」を、1人であるシュプリームが理解できるわけないのだ。

 

ひょっとすると、前半パートの駆け足なダイジェストもそういうことなのでは?と思わなくもない。彼女達の軌跡をよく知っている歴代ファンはダイジェストでも、あの中に生まれる絆や、各キャラクターが本編で抱えていた軸が再現されていることを理解できる。
しかし、それを知らない人達の視点では、理解できることはかなり限られる。スカイチームにいたプリムも全く同じ気持ちだったのではないか。アレはプリムが体感した時間の流れや視点と感じることもできる。

だからこそ、プリキュアと妖精の関係値として成熟している「のどか&ラビリン」のような「ふたり」に触れられ、プリキュアの最も前面に立った本質を理解し、且つシュプリームと同じ力を持つプーカがトドメにシュプリームを「再構築」して「キュアシュプリーム」に仕立て上げるような構成が光る。
「ふたり」を突き詰めるなら、プリムを本当の意味でプリキュアにするのは78人ではなく、プリムのパートナーとなる妖精でないといけないのだ。
プリキュア妖精も多様化はしているが、元々プリキュア妖精は少女達をプリキュアに仕立て上げるところから始まった存在であり、その原点に回帰したということなんだろう。

プリキュアと共に戦うプリキュア妖精という存在にフィーチャーしたキュアプーカへの変身は、俺も心臓にトドメを刺されてしまった…。特に版権の都合か何かで徹底的にビジュアルの再出演が叶わなかったキュアモフルンが登場した瞬間は………ありがとう、田中…………どっちの田中だ。

 

そしてシュプリームとプーカは「黒」と「白」のプリキュアとなる。20年分のプリキュアを叩き込まれ、余計にプリキュアがわからなくなったシュプリームの着地点として、あまりにも美しすぎる回帰。

俺はこのラストシーンの時点でもシュプリームが本当に「プリキュア」を理解できたとは全く思っていない。そんなすぐに理解できるものなら、そもそもこんな騒動は起きていないし、20年もシリーズが続くわけがないのだ。
だからこそ原点に回帰する姿から「ふたりは」の新たな物語を紡いでいき、ゆっくりと時間をかけて20年分のプリキュアを理解していくのだと思う。そうであって欲しい。

 

シュプリームは、恐らく…やろうと思えばラストの決戦でも78人のプリキュアを完膚なきまでに叩きのめすほどの力はあるのだと思う。それでも一度破壊したプリキュア達に、20年の歴史に無理解ながらも向き合おうとしてくれた。理解できなくても最後は「プリキュア」になることを選んでくれた。
78人みんなが最初からプリキュアだったわけではないし、キュアアースのように最初からプリキュアとして生み出された存在も、のどか達と出会ってプリキュアとして何かを学ぶという描写が行われているのだ。
その点では偽りのプリキュアと妖精が今回、俺が忘れていたプリキュアの記憶を破壊し、再び繋ぎ直すことでそれらを思い出させてくれたことは、本物という他にない。まさに鷲尾Pが言っていた通り、破壊と創造から「プリキュア」の原点を伝えてくれた。本記事は仮面ライダーディケイドではなく、プリキュアの映画の感想です。

 

何故あそこまでやらかしたキュアシュプリームを許せてしまうどころか、こんなにも憧憬やときめきを感じてしまうのか。わからないながらも近い理由を言語化するとしたら、こういうことなのかなと思う。
映画を観直す度に、何度滅ぼしても立ち上がる78人を見て「ときめき」に悦ぶシュプリームへの感情が強まる。どうしてそんなに笑っていられるのか…わかってしまう、毎週テレビを前にプリキュア達に釘付けになっていた俺はわかってしまうのだ…。

歴代のプリキュア像から外れた、下手すれば「美」を感じにくい異質なデザイン…そこからあの声とあの口調…………う〜〜〜〜〜ん好き!!!!!!!!!!!(語彙力喪失)

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ひろプリの映画としてはどうなのか

まずこのオールスターズ映画は、現行作であるひろプリの映画としては作られていない…ように見える。多すぎるプリキュアに平等に活躍を与えようとすると、そうなってしまうのは致し方ないことだ。
しかし、オルメモの時と違って春映画もなくなった今、やはりひろプリがメインに据えられた映画がないというのは、寂しい…。

 

が、今回の映画の話を突き詰めていくと、わりとちゃんとひろプリだなと感じる部分もある。
ソラの軸が一番わかりやすくて、先人から学んだこと、今学んだことをヒーロー手帳に記して自分の中の「ヒーロー」を形成していく流れは、説明するまでもなくプリムがプリキュアを学ぼうとするのと一緒だ。プリキュアを知ることでプーカもプリムも自分の中の世界を拡げようとしている。
守られる存在から仲間と共に戦う存在になったエルちゃんがプーカの手を握るのも、キュアプーカという存在に繋がっているのだろう。

 

ひろプリ本編の不満点として挙げられるのを見たことがあるのだが「ヒーローの守る対象がエルちゃん1人にシフトしすぎ」という点も、この映画が答えを出している。1人で泣いているプーカ、1人で泣いているエルちゃんを見捨てず、復活したヒーロー達。ヒーローとは民衆を守る者という画一的な認識(もちろんそれが悪いわけではないし、これまでのプリキュアもそれを行っている)よりかは、まず第一に何を守るところから始まるのか、という点を描いて改めようとしているのではないだろうか。

 

話は変わり、これはどちらかというと田中コンビの作風かもしれないが、ひろプリ本編で度々描かれるプリキュアの「死」を匂わせる空気感も今回、全プリキュアに適用されてるようにも感じる。大分迷惑な話。

 

そして何より「ソラまし」という「ふたり」を強く扱っていたひろプリが、巡り巡ってこの映画で描かれる「原点」につながる。
…実は俺はひろプリ本編の序盤で、スカイとプリズムが本当の支え合う「ふたり」になった時にヒーロー手帳に描かれた「ふたりはプリキュア」があまり好きではなかった。なんというか…露骨なセルフオマージュすぎるというか「20周年だからこういうの入れれば視聴者は喜ぶやろw」感を感じてしまい…好みではなかったのだ。そう、好みの話でしかない(もちろん演出意図はわかるのだが)
だが、今回の映画で文字通り、あの回ごと「破壊」され、俺の飲み込める形で再度「創造」されたことで、ようやく前向きに向き合うことができたと思う。

プリキュアとしては「これから」が始まるプリムとプーカ、そして現在進行形で「プリキュア」を形成中のひろプリという作品、両者はやはり切っても切れない関係なのではないだろうか。

 

そう、何度でも言うが『映画プリキュアオールスターズF』の本質は破壊と創造、過去作から現行作まで全てのプリキュアを見直すことにある。
朧げにしか覚えてない感情、しっくり来なかった表現、そしてまだ知らない物も含めて、全てをあえて踏み躙った後に再構成することでシュプリームだけではなく、我々のようなわざわざ劇場に足を運んでプリキュアに触れようとする層に20年を叩きつける。

そう………そう!プリキュア20周年は破壊と創造の年!誰がここまで破壊しろと言った!!!!実質みんな殺されとるし、明確に敵のプリキュアは出るし、実写キャストの男プリキュアチームなんて聞いとらんぞ!!!!!!
でも、20年を統括して「先細り」を強めるのではなく、この20周年の先もシリーズを続けるために破壊してプリキュアの概念を拡げている。周年は祝うだけにあらず、この先も祝えるようにするという方向性に、プリキュアが積み重ねてきた真摯さがあるように俺は感じる。

 

ネタや軸が細かすぎる

この映画がシュプリーム視点でも、そして我々のような劇場に足を運ぶ者視点でも「プリキュアがわからない・細かいところは忘れた」という人に向けた物でもあるのは上述した通り。しかし、やはり20周年記念作…シリーズファンだけが気付ける過去作のネタが豊富なのも、この映画の魅力だ。

書き出すとキリがない。映画の内容に関係のあるものだけを抜き出しても、

スカイチームと後に光を選ぶプリムの出会いの場になった大空の樹(S☆S作中に続き、破壊から再び地球を救ったことになる)
・記憶を失い「初対面」となったプリムに名乗るまなつ(トロプリのローラとの邂逅)
・「キュアップ・ラパパ」で再会するのどラビ(まほプリ本編中盤・最後にかけて奇跡となった魔法の再現)

 

………いや物語に関わる文脈に限定すると、意外と少ないな…!?逆になんでこの3作品!?全部俺の推したい作品になってんじゃねーか!!!いや、小ネタ自体はこれ以外にも滅茶苦茶多いんですよ…!俺がたまたまこの3作品が好きだから、わかっただけで…他にもきっとあるんだと思います…!多分!!!!!

 

とにかく70分という尺の中で、過去作の要素が散りばめられまくっている。これまでの20年を全部見てきたファンでも1回の鑑賞では絶対全てを拾いきれるとは思えないし、特定の作品を見ていなければ尚更だろう。
だからこそ、それぞれの作品に詳しいファン同士で、それぞれが見つけた世界を共有しあうムーブが非常に楽しい。リアルでもSNSでも…プリキュアだけじゃなく、それを観ている人達も繋いでいる。


同一の作品でもそうだ。俺が昔に読み込んだ『魔法つかいプリキュア!』のスタッフインタビューに準じる小ネタとこの映画での扱われ方の考察をドヤ顔で披露したら、他の人は「電車の終着駅にカタツムリニアあったよ」「廃車と化した歴代ワゴン車の中にいちごメロンパンのワゴン車と思わしきピンクの車両もあるね~」と俺も気付かなかった要素を提示してくる………わかんねえもんだ………………。てか、S☆Sとまほプリ要素が謎に多くないかこの映画。

 

トロプリで言うなら終盤の「人魚のプリキュア」共闘は、人魚のプリキュアというだけではないと思う。じゃあ何か、キュアマーメイドもキュアラメールも同じデザイナーってところ言いたいのか、からさらに踏み込んで、そもそもローラのデザイン自体が源流がマーメイドの変身者である海藤みなみっぽいのだ。ラフ段階の初期案のローラはかなり近い方向性でデザインされており、明言されているわけではないが俺はこの2人に強い縁を感じていたので、わざわざそこをピックアップしたことに初見時はむせてしまった…。同じ人魚モチーフで同じデザイナーなら自然な帰結かもしれないが、そんな細かいところまで拾ってくれるのか…と、個人的に勝手なアレを抱いた。

 

なんだったんだろうアレ

今回、映画の主役となったプリキュアメンバーの選抜や組み合わせは、監督らも色々試行錯誤を行ったことがインタビューなどで何度も語られている。
現行作であるひろプリは5人全員、そこから直近4世代となるヒープリ・トロプリ・デパプリは主人公と追加戦士、そして初代~ハピチャで一区切りとしてそれ以外の作品から1人ずつという形だ。
あまりにもプリキュアの数が多すぎるので直近10年分に絞ったのであろうが、個人的には『Go!プリンセスプリキュア』は当時の映画が2作とも特殊な位置付けだったことに加え、2016年まで続いていたオールスターズ映画が一つの形で終了し所謂「三世代映画」が始まった時の初陣を飾った作品なので、そういう意味でも納得はしやすい。

 

その上で各キャラの属性を意識したかのようなチームが組まれているのも面白く、情報公開時にオタクがあれやこれやと組み合わせの意味を推察したら後から本当にそうと明かされたのだから、納得が行きやすいものになっているのだろう。

設定上2人同時ではないと変身できないミラクル&マジカルではなく、単独で変身できるフェリーチェをまほプリから選んだり…フェリーチェのいるウィングチーム自体が育児・ナイトとプリンセス・夢など、会話を繋げられるように緩やかに共通項があるのも、それぞれのプリキュアを通して得た何かを深掘りするために組まれたと考えられる。非常に真摯だ。ツバサくんの「プリンセス!」は中の人ネタらしいけど、同じ田中コンビだから何も文句言えねえ。

 

この中だとアンジュだけが「育児要素にしてもHUGプリなら他に色々あるだろうに何故?」という声もあったが、これは恐らくHUGプリ全体が抱えていた育児要素だけではなく「新たな命の誕生」という要素で選ばれたのだと思っている。それは最終決戦で映し出されたさあやの夢の発端となるシーンが裏付けている。加えて、アンジュはキュアプーカの「誕生」の場面でも、プーカを助けるために言葉を投げ、プーカを守り続けていた。その隣には、あまねく命に祝福をするフェリーチェ達もいる。その直後でプーカの背中を最後に押すのがキュアエールというのが本当に憎い…!HUGを最終回まで見た人なら、この流れに込められた意味はさらに理解できるだろう。

…実を言うと、何回も映画を見ても、俺はさあやの例のシーン(恐らく第35話)が何のシーンだったのか思い出せずにいた。ただ、さあやが最終回で何をしたのかは覚えていた(あんなインパクトのあるシーンは、忘れられるわけがない…)
だから真のプリキュア妖精として改めて「誕生」したプーカのシーンの前後の意味は何回か映画を見てるうちに自力で気付けたのだが、HUG35話について思い出したのは、この文章を書いている途中だ。
HUGを見たのはMXの再放送の時で、スタプリと同じぐらいの時期。そこまで昔じゃないのに俺は忘れていた。ちゃんとHUG本編を見ていなかったということなのかもしれない。再三だが、この映画がプリキュアシリーズを1度破壊する目的はそこにあるのだ。おかげで思い出せたし、またHUGと向き合いたい気持ちになってきた。*6
だから、選抜メンバーの中にキュアアンジュがいる意味は、やはり非常に大きい。これは他のメンバーでは説得力が弱まってしまうことを考えてのチョイスだったんだろう。

ちなみに↓のリンクを貼るために当該エピソードがどれだったか映像を確認しようとしたのだが、見つけた瞬間に心臓に何かヤバイものが込み上げてきたので、必死にブラウザバックして見ないようにした。もうこの時点で俺の中のHUGが正しい形で繋ぎ直されたことの証明となっている。いつか…また向き合おう。

 

このように複雑なパズルを真摯に解いていた映画なのは間違いないのだが、さて…本題のバタフライチーム…。
まぁわかりやすいと言えばわかりやすい。新成人であるバタフライを筆頭に、故郷の星では成人扱いのミルキー、実年齢は0歳だが見た目は成人女性という設定のアース、そして精神的に大人として見られがちで間もなく新成人になるマカロン(どっちかというとプリアラ最終回の文脈の方が強そうだが)

まぁ「大人チーム」ですよね。ただ別にそれ自体がこのチームのお話として描かれてたわけではない。主にオヨルンこと羽衣ララと、琴爪ゆかりの対立が軸として描かれていた。ここだけ何かがおかしい。
何か1人でどっか行って凍死しかける琴爪ゆかり、対立しつつも心配して無事だとわかると安心するオヨルン。まぁそこは良いよ…2人っぽいね。助けに来たラテ様を別の犬に幻視するの何!!!!??????いいよ、アスミは今回その特性でプーカにヒントを与えるという超重大な役割だったし、沢泉の温泉という世界の残骸を繋ぐピースだから。ラテ様をこんな使い方して良いの!!!!!!??????ラテも赤い犬さんと一緒に泣いてるラテ!!!!!!!!!!!!!!!

最終決戦の怒涛の「ふたり」を描き出すシーンも、琴爪ゆかりだけ明らかに抜き出すところの空気がおかしい。シリーズの原点である「ふたり」に収束させる構成なのだから、別に琴爪ゆかりだったらこうなるのはおかしくないよね、なのはそうなのだが、それはそうと何かやっぱりおかしいだろ!!!!!!!!復活したショコラと並んで明らかに別作品の空気を出しながら「退屈しなかったわ」するマカロンお前が一番なんなんだ!!!!!!!(シュプリーム)

 

まぁわかるよ。プリアラ見たの大分昔でよく覚えてないけど、琴爪ゆかりは確かにこんな感じの女だったかもしれない。精神的に大人と見せかけて、その内面は歪みまくってるのが魅力的なキャラクターだ。そうか?
そこから出力されるのが一連の描写というのもわかる。わかるけど、わからない…なんだこの女は…。

そういった困惑を抱えながら、俺はこの映画を何回も観た。めちゃくちゃ泣けるし嗚咽を漏らしてしまう映画なのだが、何回観ても最終決戦の琴爪ゆかりのシーンで一瞬だけ我に返ってしまう。
しかし、徐々に気付きはじめ、最終的に確信に至ったことはある。そう、琴爪ゆかりもキュアシュプリームなのだ(!?)

 

高い能力と引き換えに成すことを分かち合う相手がいない孤独と憧れ、それを理解してくれるパートナーを求めながらも見せてしまう拒絶、そして「プリキュア」としては異質なキャラクター。
シュプリームという存在にシリーズの20年をぶつける上で、この映画は愛も幸せも笑顔も…前向きな部分だけを描いてるわけではない。その過程には苦しみも呪いもあるし、それを体現したプリキュアだっている。プリキュア全員が全く同じ背景、趣味趣向を持っているわけではなく、全員が明るくお人好しなキャラクターではない…琴爪ゆかりはまさにその極地とも言えるキャラクターだ。

だからこそ、他のチームがワイワイ仲良くやってる中で、琴爪ゆかりのいるチームはそこの違いでそれを描ける配置になったのだろう。

 

さらに言えば、琴爪ゆかりだけの軸で考えるから困惑が起きやすいのだと思う。ここに琴爪ゆかりと喧嘩して仲直りに至ったオヨルンの軸を加えると、話がスッと入りやすい。
スタプリのテーマから派生して、オヨルンは自身が固執していた考え方から、星奈たちとの交流を通して多様なものを受け入れていくという話が展開されていたと思う(うろ覚えなので間違ってたら申し訳ない…)
そう、オヨルンにとって琴爪ゆかりはまさに違う世界、違う星の存在なのだ。そういう人間もいる、それを理解して受け入れれば、1度敵対した相手とも楽しさを共有し合える。
キュアシュプリームというプリキュアを踏み躙り、それでもプリキュアの強さを理解するために復活したプリキュアと向き合い、自分の中にあったプリキュアへの憧れを自覚した上でプリキュアとして新たに物語を始めるキャラクターは、作中でやらかしたことを鑑みれば普通は到底受け入れにくく、憎悪の対象になりかねない。しかし、琴爪ゆかりという場の空気を悪くし、それでも手を差し伸べれば同じプリキュアとして繋いでくれた存在は、無意識にキュアシュプリームという存在を受け入れる上で必要なピースだったのではないかと思った。

 

と考えた上で映画を見直すと、琴爪ゆかりの変な空気感のシーンですら、泣けるようになってしまったのだ俺は。なんでだよ。どういうわけなのか、俺の心は実際に呼応してしまったので、間違いない。
この映画はしばしば「綺麗な春映画*7」「綺麗なジオウOQ*8」などと言われることがあるのだが、個人的にはこの琴爪ゆかりの妙な空気感を含めて、綺麗という文字にまとめるのは違うと思っている。前述したが、シリーズの綺麗な部分だけではなく、厳しかった部分や賛否が分かれていた部分も内含していた。ただ、それを漂白や濾過はせず、真摯に歴史としてそのまま出力していたのが、たまらなく嬉しいし、たまらなく"わからない"のだ。そう、結局はシュプリームの視点に帰結する。

 

この映画自体も「ん?」と思う部分は多い。選抜メンバーがなぜ今回復活できたかの説明が不足していたり、前半がダイジェストすぎるだとか、地球復活後に急にCGになって違和感あるだとか、その後の78人総突撃+名台詞連発があまりにもスーパーヒーロー戦記*9すぎて笑ってしまうだとか………。
でも、全部…ちゃんと考えればいくらでも理由は付けられる。破壊されたシリーズ、そしてこの映画自体も何度も考えて自分の中で修復することが大事なのだ。
急なCGも当たり前。78人もいるんだから。スタッフの方々がプリキュアの20年に敗北してしまったシーンなのだ。それを認識した上だと、その後の秩序のない総突撃も何故か泣けてくる。それぞれの作品に、それぞれバラバラの歴史や背景がある。秩序がなくて当たり前だし、シュプリームがそれを理解するのは非常に難しいし、そこから同じく敗北してしまうのだ…。パパイアはアレ何?

過去作もこの映画も…綺麗事だけではない。それ以外の何かも全てひっくるめて「プリキュア」として出力する。だから、この映画に「嘘」はないし、20年の歴史が「わからない」という真実に感情を置くことができる。とんでもない映画だ。それはそうと琴爪ゆかりもオヨルンに謝れ。

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最後に

いやもう書くの終わりたい。この映画、書こうと思えば何文字でも書けてしまうのが本当にダメ。読んでる人も疲れるでしょ。ていうか1本の映画で2ヶ月も時間かけるんじゃねえよ!!!!!2ヶ月で答え合わせする暇もなく、5回も観ちまったよ!!!!!!もっと観てる人おるんやろなァ!!!!!

いやでも本当に良い映画だった。観る前の不安は一瞬にして吹っ飛んだ。いや正確には終盤まで辛い気持ちが強くなる映画なのでアレだったんだけど、最後のオタクの走馬灯パートがとにかく麻酔なしで心臓を鷲掴みにしてグチャグチャにしてくる勢いだったし、その前のパートも噛めば噛むほど違った味が出てくる。これで尺がもっとあれば最高だったのだが、70分尺の中で出来る限りのことをやったというのは痛いほどに伝わってくるので…。

とりあえず、他の感想はTwitterでつぶやいてるので、気になる人はどうぞ(検索漏れもあると思うけど)

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何度でも言うが、あそこまでのことをやらかしたキュアシュプリームの出で立ちを前向きな気持ちで見届けられること自体がおかしすぎてすごい上に、そんなプリムを見るとドキドキしてしまう程に魅力を感じられるようになってしまったのが恐ろしい。プリムはプリキュアがわからないらしいが、俺もお前がわからない………なんなんだお前たちは!!!!!頼む!!!!!!!!シュプカ主人公の続編…いや『番組』を作ってくれ東映アニメーション………!!!!!オトナプリキュアだの男子ングだのまほプリ2だのヤベーことをするエネルギーがあるなら、それぐらいはできるはずなんだ!!!!!!!シュプカが20年を順に追っていくウルトラマン列伝形式の番組なんてどうですか!!!!????コンセプト的にドチャクソ合うと思ってるんですけど!!!!!!お願いしますよ!!!!!!!!!!!!!!追っていく過程でプリムの中にこの世界を1度踏み躙ったという強い罪悪感が生まれると尚良しですねえ!!!!!!!!!!闇の二次創作???????????

 

いいかシュプカ、お前たちがプリキュアを理解するために「ふたりはプリキュア」の物語を始めるならなァ………!!!!!こっちだってやってやるぜ!!!!!!!!!!!!!!!!ドン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

www.magika4.com

 


*1:もう5回くらい観た。

*2:第20作目であって本当の20周年は翌年度なのではあるが…。

*3:俺はバッドエンドプリキュアなどあの辺りの存在と同一視してるのだが、プリキュアゼミナールを見る限り、ダークプリキュアも本当はそこに入れても良いのだが…。

*4:違ってたら恥ずかしい。

*5:大空の樹とその意味に気付いたのはフォロワーだった。感服だ、すごい。

*6:HUGプリ、面白いは面白いのだがプリキュア作品としては賛否両論になるのは当然だと思っていて、俺は否寄りに感じる部分も少なくはなかったという背景がある。

*7:プリキュアAS映画というより、お隣の特撮番組がしばしば出力するあまりにも治安が悪い映画のこと。

*8:ジオウOQはやってることというか軸自体は確かに変だが爽やかな映画だと思ってるので、まるで汚く暴れてる映画みたいに言われるのは心外なのだが…。

*9:スーパーヒーロー戦記は…そこ以外は最高………!!!