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感想『魔法つかいプリキュア!!~MIRAI DAYS~』第11話「みらいの決断」

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▲第10話の感想記事

 

第1期から続く『魔法つかいプリキュア!』という俺にとっての原動力でもあり、呪いでもある作品。その解呪に縋ろうと第2期を見ようとしたら、第2期も呪いを吹っ掛けてくる。これは第11話も一緒だった。

過去に囚われ続けたいのは俺も一緒だよ。クロノウスト、俺にもビーム撃ってくれ。でもこっちの時間は止まんねえんだ………あと1話……あとちょっとの辛抱………もう少しで終わるんだ………。

 

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■「秋」という「夕日」に進め!!!!!!!!!!!!!!!!!!

幸せな過去に囚われることは本当に悪いことなのか。明らかにヤバイことが起きてるのでクロノウストを止めないといけないものの、みらリコの中に渦巻く迷い。迷いは…ごもっともである。だって、みらリコこそ最も「過去」への憧憬を我々に見せてきた女達だから。しかも過去視・未来視の能力を第2期の最序盤から与えられ、何度も何度も自分自身からの攻撃を受け続けてきた。

前回も5年振りに再会したは良いものの、お互いの「今」を重視すべく半年間も会えない状態が続いていたという第2期冒頭で提示された事実が過去視という形で掘り下げられた。中学時代みたいに一緒に居続けられたら、どんなに良かったんだろうと。この状態で未来に進む意味は果たしてあるんだろうかと。みらリコが迷うのは当然である。

 

でも違う。みんなが「それぞれの世界」に閉じこもり続けるのは異なる世界の断絶だし、奇跡のような出会いの否定だ。

取り残された人の悲しみ(軌跡)の否定でもある?それならば全ての生命体の時間を止めてしまえば関係ないとクロノウストは言うかもしれないが、かつて魔法界とナシマホウ界が混沌によって完全に混ざってしまった際にも「本当はちょっぴり嬉しかった」と吐露しつつ、明日やみんなで見た夕日を取り戻す決断をしたMAHOガールズである。

クロノウスト、ひいては自身達が作り出した「幸せな過去」から抜け出すには、その過去となる記憶を忘れるしかない。そうすれば過去や記憶の結び付きが強いが故に、記憶という世界が繋がっているMAHOガールズの物理的な結び付きを犠牲に、クロノウストの止めた時間から抜け出すことができる。物凄く………理屈的だ。

 

各キャラクターの過去その物を「世界」と定義して、記憶の有無を媒介に各世界の結び付きと別れを演出する………「時間」という全く異なる概念を扱いつつ第1期の再演としてここまで接続できていることに感嘆を漏らすと同時に、本当に…やってしまうのか…という悲しみに心臓をズタズタにされかけている。

クロノウストがやっていることは「幸せな過去という各世界」をそれぞれ分離させることなので、明らかに第1期における「混沌の世界」とは真逆のアプローチだ。それでいながら、どこか「混沌の世界」にMAHOガールズも視聴者も感じた違和感が据え置きなのだ。

というわけで、第1期48話を簡単に見返していたのだが………あるじゃないか、第2期の「答え」がすぐそこに…。「みんなで新しい朝を迎えたい」「みんなで美しい夕日を見たい」………「それはただ待っているだけでは手に入れられない」

 

第2期冒頭で半年間も会ってないことが判明したみらリコ、それぞれの「今」が忙しかったのは事実なのだろう。それでもお互いに、お互いを想いすぎるが故に…「待っていてしまった」のだ。

二つの世界が再び繋がる前、空白の5年間のことだが………リコは少しも待たずに二つの世界を再び繋げようと邁進を続けていた。一方でみらいは…待ち続けていた。諦観に心を削られながら、待ち続けていたのだ。それでも最後の最後で、待てなくなった。待てなくなった結果の必死な「思い」「言葉」が二つの世界を再び繋げた、ということが今回改めて当人の口から言及された。

 

めちゃくちゃ第1期踏襲、その再演…!過去に閉じこもる・時間を止めるという違うアプローチを行う敵、混沌とは真逆の「生命と混沌の否定」を行う敵、その恐慌を見せつけながらも根幹は全く一緒。

時間の停滞を乗り越えて迎えたい「未来」が秋なのも、第1期の時点では存在しなかった「いちごメロンパンの変化」が、第2期においては「月見いちごメロンパン」という形で変貌を遂げているからだ。ツッコミどころ満載の日常共有描写かと思いきや、変化し続ける未来、そして四季の象徴だったというわけだ。

 

■何があっても、巡り会える

「世界がはじめから一つの物だったら、私達どうなってたかな?」

 

第1期49話を象徴するシーン。そして仮に「異なる時間」を歩んでいたとしても、みんなで再び会えるという、4クールを経た「確信の想い」でもある。

結局、異なる時間というのは第1期で描かれていない。混沌の世界にいた住民達の記憶はリセットされたが、MAHOガールズは据え置きであり、過ごしてきた同じ時間は世界が離れた後も失われることはなかった。

 

次回(最終回)を見てないのでアレだが、今回はまさかのそこを拾うというアプローチだ。まさか…まさかだが第1期を踏襲するのであれば納得なのだ。そして、みらリコとは異なる時間(思い出や記憶)を抱えながらも「巡り会った」2人の知らない少女が今回、登場した。いや、知らないのは名前だけだ。知っている、この2人を俺は…。

 

まさかの、まさかの再登場である。第1期エピローグに登場した「みらリコオルタ」………!!!!!!

………そうか、時間が異なっていたとしても、ぬいぐるみが落ちて、それを拾って、起きた奇跡を再演していた存在が…確かにいたのだ。流れからして、今回書き下ろされたシーンは第1期エピローグの日の朝なのだろう。

 

もちろん、この2人は決して「違う時間軸のみらリコ」ではない。たまたま、みらリコに似ていて、みらリコと同じ出会い方をした普通の女の子達に過ぎないのだろう。それでも確かに起きた「奇跡」なのだ。

記憶を失っても、当日の朝にドジを踏んでも、それぞれに時間を進める意志があれば「巡り会える」。これ程に適切な再登場のさせ方があるだろうか。

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■紛争地域描写

世界の時間を停止させようと現れた黒い月、世界各国の状況が次々と描写される中、特に印象に残るカットだった………プリキュアに似つかわしくない光景。戦車や重火器、荒廃した建造物………誰がどう見ても紛争地域の描写である。深夜枠だからこその表現であると感じる。

我々の世界と同じ歴史を歩んだ、戦争の延長線上にある作品というのは初代プリキュアなども通して描かれてることであり、厳密にはニチアサで描かれたことがないというわけではない。だが「今」確かに起きているそれを描くことに、強いメッセージがあるのではないだろうか。

 

我々の日常も、プリキュア世界における日常も、かつてあった戦争の延長線上で成立しているという事実。光と闇の関わり合いを描いた初代プリキュアでは、戦争の先にある希望を通して、その関わり合いの補完をしていた。

そして、少なくともまほプリの世界におけるファンタジーとワクワクもんに溢れた日常の隣では、今でもかつてあったような紛争が続いている。なぜ紛争をし続けているのか?そんな物は紛争をしている当事者達にしか真意はわからないんだろうが、確実なのは「未来」に進むためなのだろう。

 

その「未来」の是非を語る気はないし、平和な国でこうしてまほプリという作品に打ち込めている俺は語るような立場でもない。だが死と生命の循環、それを定義付ける「混沌」の話をした上で、それらを食い物にする魔獣が飲み込む対象は何なのか。今回の話で登場した紛争地域もその対象であるというシーンである。

幸せな過去も、今の辛苦も、未来への希望も、全て食い尽くす。クロノウストの脅威を描く上でここまで印象付けられるシーンもないだろう。

俺はプリキュアに社会的な描写はあんま求めてないし、むしろ忌避寄りである。プリキュアはエンタメであり、子供も含めて理解して楽しめる物であって欲しいからだ。でもこのシーンはすごく印象に残ったし、物語を考える上で非常に効果的であると感じた。これが内藤Pの言っていた「第2期はハイターゲット向け」の真意なのかもしれない。

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■ヤモーの真意はどこに

まさか…まだわからんとは思わなかった。今回「ドクロクシーさまー!」と必死に叫んでたので、ヤモーの中で何かが望めない結果になったというのは間違いないみたいだ。本当に裏切った…?

だが妙なのは、仮にヤモーが本当にクロノウストに取り入って石化してもらいたいなら、それ自体は今回の全生命体の一斉石化を通して叶っている。なのにヤモーは何かに断絶されたように「ドクロクシーさまー!」と叫んでいるのだ。これから過去の世界でドクロクシーに会えるというのに…。

 

ちなみにヤモーは第1期エピローグで仕えることになったドクロムシーのことを「ドクロクシーさま」と呼んでいる。ドクロクシーの遺骨にすら縋ってたヤツなので、流石なのだが………何が言いたいかというと、やはりドクロムシーは健在であり、ヤモーは今も第1期エピローグのようにドクロムシーに仕えているのではないか?ということ。

だが最終回直前になってもドクロムシーの存在は直接言及されない現況にやはり謎が深まるばかり。そもそも…仮にそうだったとしても、利敵行為をする意味はやはりわからないし、それが明かされていない。

 

現時点の事実描写を踏まえると

「狭間の世界でクロノウストを発見するまでは、闇の魔法を利用したクロノウストをブチのめすつもりだった」

プリキュアにボコボコにされるクロノウストを見て、ドクロクシーと繋がれる存在を結局は見捨てられず本心で利敵行為をしてしまった」

「クロノウストに拒否られた後に思い直し、現在進行系で仕えているドクロムシーを想うものの、クロノウストが完全覚醒したので結局石化してしまった」

が自然なのかな…と思ったけど、もしそうなら明確にそう描くよね…。

 

謎が謎のままというか、まず俺が謎に思ってること自体がおかしくて描かれた物が事実ですよ?のパターンの可能性は否定できず、それが困るのだが………。思い出したのがアイルって結局どうなるんだろうというところもあるので、もしかしたらアイルに手を差し伸べる誰かが最終回にいるのだとしたら、ヤモーがそのファクターになるのかもしれない。わからんですけどね。何を言っても次で最終回なので、次で流石にわかるはずである。わかるよな…?

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今回、みらいが「たくさん過去視させてもらったから、自分の進みたい未来と決意を思い出すことができた」と言っていた。全くもって同感である。

俺も第2期を見たり、展開を予想したり、色々引っ張ってきたり、色々してきたが、ぶっちゃけ作品の楽しみ方としてはすごく迷路のようになっていたので、心の底から作品を明るい気持ちで楽しめていたかと言われると違うと感じる。それ程までに複雑な第2期であり、第1期を台なしにされたくない、あの時に感じた衝動を否定されたくない、MAHOガールズの幸せを想いたい、そんな不安と切望に乱されまくってしまった。

 

でも今回の第2期を通して、第1期について改めて調べたり、同じくまほプリに特別な感情を抱いてる人達から俺が忘れている知見をいただけたり、その中で第1期で既に描かれている「答え」を思い出すことができた。

なんだかんだ再放送を含めれば、通しで第1期を見たのは7年前が最後だ。そしてこの7年間の間に、色々なことがありすぎて、俺も忘れたことや別の物に向けた意識が多い、多すぎる。もしかすると、第1期最終盤のあんな激情的な「奇跡」も、空白の5年間で感じた苦しみも、みらいは細かいことを忘れてしまっていたのかもしれない。「今」が忙しすぎると、そうなってしまうのは俺自身もよくわかる。

 

だからこそ、あの時の奇跡を見たことがある視聴者が9年経って、何があったのか。そこに作品自身が寄り添ってくれているのが、この第2期なのだろう。

というわけで、2025年4月27日2時すぎ………深夜という遅い時間だが、この記事を公開したら最終回にすぐ臨みます。寝て起きたら、フォロワー達とまほプリのスペシャルショーを鑑賞しに行くので…最終回の感想はすぐに書けないだろうし、恐らく筆を折ってしまうレベルの精神状態になってしまう可能性もあるが………こっちの時間はマジで止まらないので、やるしかないんだと思う。頑張るよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1作品の視聴にここまで頑張らなくて良いのに、変な頑張り方しちゃうんだよ!!!!!!!!!!!MAHOだから!!!!!!!!!!!!!!!!

 

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