まぎかる゜火葬場

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感想『魔進戦隊キラメイジャーVSリュウソウジャー』 龍井うい、そして故・金城茉奈氏も通し描く「クリエイティブの苦悩と楽しさ」

公開を楽しみにし、ムビチケを買ったのは良いものの、都市圏は緊急事態宣言により主要映画館は完全封鎖。

スーパー戦隊恒例のVSシリーズ最新作『魔進戦隊キラメイジャーVSリュウソウジャー』、略して「キラリュウ(公式略称)」をようやく見れたのは、緊急事態宣言による要請が緩和され、都内の映画館の営業が再開した6月であった。

想定してた一番嫌なパターンが「ムビチケ買ったの?でも6月以降はもう上映してないよ~~~~ん!!!!」だったので、とりあえず見れて良かった…いや本当に…。

 

 

スーパー戦隊のVSシリーズは、とりあえず毎年見ているのだが基本「う~ん」「面白いっすね!」の二択なので、今回のキラリュウもそこまで期待値を高くして観に行ったわけではなかった…のだが完全に油断していた。

 

時間ないので例のごとく当記事は殴り書きスタイルで感想を書いていくが、とりあえずストーリーの根本的なネタバレみたいなところは書かないつもりである。そこは本質ではないので。ただ、こういう要素があっただとか、VSシリーズ恒例の描写みたいなところは普通に書くので、気にする方はまず映画館で観に行ってもらいたい。マジで映画館でさっさと観た方がいい。って思ったけど、これアマプラとかでもう見れるのか…。

 

結論から言ってしまうと、これまで見てきたVシネマ、いやスーパー戦隊の劇場作品の中でも特に高品質で、感情を動かされた大傑作だったと言わざるを得ない。

誇張かと思われるが、後半はそれはもう戦闘シーン含めてずっとズビズビ泣かされていた。まさか、ここまでだとは…。もちろん両作品をしっかり見た上での感想なので、そうじゃない場合はまた感想は変わるのだとは思うが…。

 

キラリュウが良かったのは、まず当然ながら本作が原典となる『魔進戦隊キラメイジャー』『騎士竜戦隊リュウソウジャー』両作品の魅力をしっかり「自覚」し、組み込んでいたからであろう。

 

キラメイジャーと言えば、スーパー戦隊では「現在」「今時」を惜しみなく押し出した作風が特徴。主人公の趣味が絵を描くことだったり(これが間接的に新武器になったり新ロボットになったり…)、敵も地球の文化を元に怪人を作り出すなどといった「クリエイティブ」がお話の中心となっている。

そして、本作に出てくる敵は「映画泥棒ムービー邪面」で、舞台は能力によって生み出された「撮影中の映画」、そこで登場人物が様々な演技に挑むという、まさにキラメイジャーらしい作り。

そして、クリエイティブに娯楽性を求めず実用性を求めようとするヨドンナと、クリエイティビティが上司に理解されず思い描いた作品を作れないムービー邪面の苦悩と悲壮が、坂本監督やこれまで幾多の映画を作ってきた東映スタッフによる確かな説得力を持って、俺の心を揺さぶる。これはキラメイジャー本編でも、断片的に描かれてきた部分だ。

このVシネマでは、そこに主人公である充瑠のクリエイティブに対する苦悩も軸として挟み、やはり非常にキラメイジャーらしいテーマになっていた。

 

そしてなんと言ってもリュウソウジャーである。このVシネマリュウソウジャーは本編最終回後の時系列なのだが、後日譚としても非常に高い練度の描き方であった。

リュウソウジャー本編とは一体どういう物語だったのか、そこに含まれる魅力とはなんだったのか、というのは俺が昔記事にしてるので、詳しくはそちらを参照していただきたい(宣伝)

www.magika4.com

 

かいつまんで言えば、暴力や争いの歴史と血を継いだ登場人物達が「騎士道」を持ってそれを制するよう目指し、ヒーローに近づくために成長していく、というのがリュウソウジャー本編のテーマであり、序盤のヒーロー番組では普通やらない「制せていない暴力性」も含めて(ある種ネタ的な意味もあったが)作品の魅力であった。

 

当然、時系列的にはVシネマに登場するリュウソウジャーメンバーは既に精神的にも成長しているので、物事の解決に本編序盤に見られたような行動は起こさない。それはつまりリュウソウジャーを構成する魅力の一つが見られないことにも繋がるのだが、そこは映画の撮影のためにアクションシーンをしないといけないという怪人の能力で擬似的に表現するのが上手い。

特にアスナは怪力設定も合わさってスケバン的な演技が魅力マシマシとなるし、坂本監督なのでアクションシーンの見応えが非常にあった。迫力とメリハリが段違いなんですよね、坂本監督…。

 

それだけではなく、しっかり後日譚としてリュウソウジャーメンバーの成長も描き切っている。一番暴れていたアスナに関しては、現在は教師をしているという部分から小夜さん(キラメイピンク)に物事を教わろうとする姿勢を見せるという形になっており、この子達は今でも騎士道に向き合い続けているんだ…と感慨深い気持ちに。

 

本編で本来の悪しき存在から成長したのは、リュウソウジャーメンバーだけではない。本編の敵キャラクターであるクレオンもそこは同様であり、ヨドンナに無理矢理吐き出させられたとはいえ、マイナソーをこれ以上生み出さないための必死の抵抗を見せてくれた。ワイズルー達と星に帰った後も、成長しており、そのワイズルー達も設定上はリュウソウ族と同等の存在であるため、クレオンがそこを見せてくれたというのは、一緒にいたドルイドンの成長の描いていることになるであろう。

 

敵味方問わず、視聴者からは賛否両論もあったリュウソウジャーという作品の描写、そこに登場するキャラクター達の成長を違和感なく見せてくれたことに込み上げる思いが止められなかった。

 

 

そして、両作品の魅力を尊重しただけではない。これはVSシリーズなのだ。両作品が抱える魅力の掛け算も非常に良かった。語彙が足りねえなオイ!

 

Vシネマでムービー邪面と対にして軸にしていたのが「納得できる絵が描けない充瑠」なのだが、そこに深く考えない、つまり直感でやってみても良いというリュウソウジャーの精神を持ってコウがアドバイスするという描写がまさにそれこそ、といった感じ

さらに今度はフィーリングで楽しくクリエイティビティを発揮する充瑠が、騎士竜を具現化するためコウ達に受け取ったアドバイスを返すという応酬が繰り出される。

 

そして実際にリュウソウジャーのメンバーが騎士竜を「ひらめキーング!」できてしまうのは、彼らのこれまでの行動や4クールを通して培ってきた思い出を持ってすれば、当然で納得することなのだ。

個人的には、本編序盤ではフエソウルで誕生したコピー体の騎士竜(※普通に生きてる)を躊躇なく爆死させ敵を倒す解決に動いていたリュウソウジャーが、今度は騎士竜との思い出を持って本物ともコピーとも言える騎士竜を復活させる流れが、彼らの成長も合わさって、非常に来る物があった。それ程までに騎士竜との絆を終盤までに紡ぐことができたということであろう。

 

はい、で、そういう作品の物語とか作劇とかだけじゃないんですね、このVシネマ。作品外の要素、つまりメタフィクショナルな観点での要素も取り込んでくる。ここが本題です。

 

クリエイティブに悩む充瑠にコウは「とある友達」の話をする場面があるのだが、その友達とは同じくクリエイティブが発揮される動画撮影をしており、全世界にそれを公開している人らしい。

直接名前は出てこなかったものの、リュウソウジャー本編を見ていれば、それが誰なのかはすぐにわかるだろう。そう、龍井ういである。

彼女も動画の再生数に悩みながらも創作を続けた人物であり、今回のVシネマの物語的にもコウの口から出てくるのは非常に自然な流れと言える。

しかし、本編を見た人なら尚更わかるだろうが、彼女はあまり物語の本筋に絡まなかったキャラクターで、普通はそこまでエモーショナルな流れにはなりにくい。

 

それでも俺が該当シーンで心臓を締め付けられてしまったのは、ういを演じた金城茉奈氏の存在があったからだし、スタッフもそれを意図して入れたシーンであることは疑いようがない。

そう、金城茉奈氏はリュウソウジャー完結後、2020年12月にに急逝されている。早い段階から療養をしていたということもあり、物語の本筋にあまり絡まなくなったのもそういった事情があったのだろう。それでも、少ない出番ながら関わろうとし、長らく姿を見せなかった後でも最終回は姿を見せてくれるなど、リュウソウジャーのメンバーとして最後まで物語を一緒に紡ぎあげてきたのだ。

www.oricon.co.jp

 

コウの語る友達がういだと気づいた瞬間、そして作中ではういが当然健在なことに言及された時には、堪えられず咽び泣いてしまった。泣かないわけがない。

ういというキャラクターが同じクリエイターのYouTuberだから、というだけではないのだ。それを演じた方だって共に作品を作り上げたクリエイターの一人である。クリエイティブの難しさと苦悩を真摯に、そして純粋に楽しいエンタメとして描いたこのVシネマで、やはり同じく病気という存在に苦悩し、それでも活躍したクリエイターへ、できる限りの最大の尊重をもって接してくれたことに、俺のボルテージは限界を突破してしまった。

 

そしてそのボルテージを盛り上げるのは、Vシネマ恒例の後半の集合戦闘シーン。クリエイティブというテーマが極地を迎え、両作品の魅力や思い出が完全に脳を支配した状態での圧倒的な見応えの戦闘シーン、名乗り口上、そして上述した思い出から蘇る騎士竜の流れ。

ズルい、あまりにもズルい…。戦闘シーンでここまで長時間、ずっとマスクをビショビショにしたのは、もしかしたら初めてかもしれない。

やっていることは、もしかしたらいつものVシネマシリーズと同じなのだろう。だが、それに至るまでの、感情のでき方が今回はあまりにも違いすぎた。

 

故人を意識させるために、ただ出すでも良かっただろう。それ自体が作品に関わってくれた方々への感謝と弔いになるし、作品に思い入れのあるファンならそれだけでエモーショナルな気持ちにさせられる。本来ならそれだけで十分なのだ。

だが、キラリュウはあろうことかそこに文脈を全て乗っけてきた。作品自体が、映画(ひいては映像作品)の面白さを描き、クリエイティブの難しさと楽しさを全面的に、しかも高品質に表現しているため、やはり感情を抑えられなかった。相変わらず語彙力がなくて申し訳ないのだが、本当にそれしか言えない。

 

故人が当時、実際に何を思っていたかはわからない。しかし、自身の体調を最優先にしない選択をしてでも撮影に参加した金城茉奈氏、その彼女を、避けられぬ事情で物語にあまり関わることができなかった龍井ういを最大限、物語に絡めてくれた製作陣が、当時の撮影が楽しくなかったわけがない。

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キラメイジャーの現代的でクレーバーなフォーマット、そこにリュウソウジャーのエモーショナルな積み重ねが加わることで、こんなにも心を動かされる作品になるとは。

キラメイジャーはやっぱり面白かったな、という感想と同時に、リュウソウジャーはやっぱり好きな作品だったんだな…と再認識できた。

 

また、充瑠の悩みは「一番に評価されなくても、楽しく絵が描ければ良い」という形で解決がされるが、コロナ禍における映画製作と配給も簡単なことではなく、評価を売上に置き換えるのであれば、中々に文脈が出てくるのではないだろうか。

 

『魔進戦隊キラメイジャーVSリュウソウジャー』は間違いなく心に残る作品となるであろう。

まだ作品を見ていない方も、ぜひ劇場へ行って、キラメキとケボーンを全身に浴びて欲しい。

 

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