応援してくれたみんな!
— 騎士竜戦隊リュウソウジャー (@ryusoulger_toei) March 1, 2020
みんなに会えてよかったティラ〜
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2019年3月17日に放送開始した新たなスーパー戦隊シリーズ『騎士竜戦隊リュウソウジャー』が放送終了した。
この作品、見始めた時はあまり期待感はなかった作品だ。というのも、シリーズ初の9人(+3人)戦隊である『宇宙戦隊キュウレンジャー』や、またまたシリーズ初のダブル戦隊が軸の『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』と、スーパー戦隊シリーズはマンネリ(※別にしてはいない)脱却のようなスタイルをここ最近は続けて取っていたし、事実として俺もそれを楽しませてもらっていた。
勝手な話かもしれないが、そこにスーパー戦隊としては最早何度目かわからない恐竜モチーフ導入や、『動物戦隊ジュウオウジャー』以前のシンプルなスタイルに戻ったというのはちょっと残念に思ったのである。
とは言っても、実際に番組を見てみると、ところどころ従来のフォーマットを崩していた作品ではあった。いつもなら通常サイズの怪人を必殺技で撃破して、その後に巨大戦に移るという流れなのだが、リュウソウジャーは撃破のシークエンスは入れずにそのまま大迫力の巨大戦に移る事が多い。また、怪人であるマイナソーが人間(たまに物体)から生まれるというのも今まであまりなかった形式なので、そこは楽しませてもらった。
…とはいえ、序盤は本当に見るのがかなり辛い作品だった。
何より、作劇というかキャラクターの行動、ギャグに至るまであらゆる要素が何とも形容しがたいが"フワフワ"しており、早起きしてまだ覚醒しきっていない脳で鑑賞するにはかなりエネルギーがいるのは事実だった。あえて例えてしまうが、俺的には忌まわしき『仮面ライダーゴースト』後半を見ている時の感覚に近い物を感じてしまい…。
しかも、この記事の主題として取り扱うが、キャラクター達の物事の解決方法には、かなり疑問を感じてしまう物が多々あった。それはもう、この作品の特徴と言っても良いぐらいに。
挙げればキリはないが、やはり真っ先に取り上げたいのは第8話の「奇跡の歌声」だろうか。ティラミーゴに爆弾を飲ませないといけない八方塞がりな状況で、主人公達がどう解決したかというと…フエソウルで増やしたコピー(曰く「影武者」)に爆弾を飲ませてそのまま騎士竜達を爆破させるという、ヒーロー側の考える解決法としてはあんまりすぎる方法。
あのですね…コピーとはいえそのティラミーゴ達生きてるんですよ!!!???しかも「本当に綺麗に爆発したな☆」という台詞付き、最悪である。
その次のお話である第9話「怪しい宝箱」もすごい。マイナソーを生み出せるのは人間だけではなく、物体もそうで、つまりその物体にも生物と同じような「意思」を確認できるエピソードなのだが…。なんと、バンバがマイナソーの宿主である骨董品を剣でそのまま破壊してしまう。この骨董品、ずっと誰にも開けられなかった可哀想な存在でもあるので、尚更この強引すぎる解決法の異質さが際立つ…。
とにかく、キャラクター達が物事の解決法にヒーローとしての倫理をあまり持ち出さない。かなり強引なのである。もっとちゃんと考えろよと思う。何が「これが俺達の騎士道だ!」だよ!?騎士道ってなに!?What!?
倫理感抜きでも、どうもキャラクター達の言動が荒削りではあり、放送されてた当時はSNSで阿鼻叫喚だったのはよく覚えている。「蛮族」とネタにして楽しむ者達も多くいた。いや、実際蛮族と言われても仕方ないと思う。それぐらい酷かったのだ。
そんなこんなで、変な方向にフルスロットルだった本作だが、中盤以降はリュウソウジャーの独特な持ち味はそのままに、徐々に改善されていった印象だった。相変わらず、リュウソウジャー達の行動にはブレがなく強引としか言いようがないが、序盤にあったような道理に外れた行動も少なくなってくる。むしろ、それに説得力を持たせる方向に舵を切ってきたという感じ。
例えば、リュウソウ族は善の使命を持ち続けて来た一族なのかと思いきやそうではなく、そこには醜い争いの歴史があったという。さらに主人公のコウは小さい頃は凶暴だったというエピソードも追加された。
リュウソウジャーの強硬的な行動理念に理由が徐々に肉付けされていったのである。
最終回付近では新たな事実も判明。なんと、リュウソウ族はエラスという万物を司るような存在(ポジション的には悪の親玉とも言える)によってアダムとイヴのように生み出されたのだという。しかし、リュウソウ族は争いを起こすので、エラスはその浄化機能として敵役となるドルイドンを生み出した。
これにより、本来はリュウソウ族が「悪の存在」であり、さらに争いを好む性質があるという事が視聴者に提示されたので、それまでのリュウソウジャー達の言動にも納得が行きやすくなったと思う。
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作中でエラスは争いの種となった人間、リュウソウ族、さらにドルイドンまで消し世界をリセットしようとする。時系列的には、確かに元はと言えばリュウソウ族の争いがきっかけで起きた悲劇だ。散々書いてきたようにその肯定的に捉えられない血は地球を守ろうとするリュウソウジャーにも引き継がれている。
では、リュウソウジャー達は本当に悪の存在だったのか、蛮族だったのか、と言われると、それに対する作品からのアンサーも熱い。
エラスの「お前達は同じ過ちを繰り返す」「お前達は愚かだ」に対し、「俺達は愚かだから学ぶんだ」という返し。
確かにリュウソウジャーはこれまでヒーローの道義を外れる過ちや、愚かな行動を我々視聴者にも見せ続けて来たのかもしれない。それでも自分達の使命を貫き通し、仲間同士で支え合ってきた。やり方がチグハグでも、彼らなりにその時その時を切り抜けて徐々に成長し続けてきたのだ。そしてそれが「俺達の騎士道だ!」と言い張る。
彼らはヒーローとしては未熟だったかもしれない。視聴者からも「倫理観に欠けてる」「蛮族だ」と、文句を言われ続けた。それでも、自分達が信じる正しい方向に進み続ける。
そう、これは我々視聴者やターゲットとなる子供達も一緒だ。「本当に正しい事」なんてわからない。言われるのではなく、自分達でそれを考えて行動の判断に移さないといけない時だって多々あるし、未知の将来を持つ子供達は特に顕著だ。
世の中は綺麗事ばかりではない。従来のヒーロー番組から学んだ正義感を理解していても、間違いを犯してしまう、または犯さないといけない時は絶対に来てしまう。残酷な話かもしれないが、夢見る子供達にもそれは伝えないといけない。
「それでも…それでも間違ってても良い。学んで、自分の思う正しい使命・道(騎士道)を貫き続けろ」
それがリュウソウジャーという番組、ひいてはリュウソウジャー達が伝えたかった事なのではないだろうか。リュウソウジャーは、従来のヒーローと違って、あえて愚かな過ちをしてきた。それでも彼らが正義のヒーローとして成立するのは、本来は騎士道精神も何もなかった彼らが、自分なりの「騎士道」を見つけていって戦ってきたからである。
そう考えれば、非常に力強いメッセージだと思わないだろうか。
これは、敵サイド且つリュウソウ族と同様にエラスから生み出されたドルイドンも同様で、アレだけ暴虐の限りを尽くしても、過ちから学んだ事で前向きな未来に進む事ができた。
「失敗から学んでいく」は、最終回のエピローグでも反映されているかもしれない。フィットネスクラブ事業に失敗した(らしい)長老の「生き物とは失敗していく物だ」という締め方もそうだし、学んできた一人のアスナが「学びの場」として子供達のために学校を開いているというのも興味深い。
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「倫理」とは何なのか。「倫理観」とは何なのか。考えればキリはないし、俺も別に哲学者でも社会学者でもないのでわからない。でも確実に言えるのは、過ちや失敗、そしてその歴史がなければ「倫理」は生まれないという点だ。失敗や過ちを犯さない者にそもそも「倫理観」は必要ない。
この番組は、主人公達が失敗と過ちを繰り返して「ヒーローとしての倫理観」を学んでいく物語。そう考えると、そのテーマやメッセージを今でも汲み取れず「蛮族」と言い続けてしまう事には注意した方が良いのかもしれない。そう、ティラミーゴ影武者爆破といい、むしろ計算された描写だったのだ。
とにかく、序盤から一転して俺に力強いメッセージを与えてくれた『騎士竜戦隊リュウソウジャー』が、かなり好きになった、という事を伝えたい。そして、従来のヒーロー観では描写できなかった面白さを伝えてくれた事にも感謝。
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