ツイートで書こうとすると冗長すぎるので、例によって記事で…。なるべく最終回に絞って書きたいけど、前置き長いかも…(いつもの)
というか1万字ぐらいあります!!!!!!!!(いつもの!!!!!!!!!!)
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— わんだふるぷりきゅあ!公式 (@TVanime_precure) 2024年1月31日
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カイゼリンを助け出したスカイたち。
現れたダイジャーグを追い込むが、逃げ込まれてしまい…!
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記念すべきプリキュアシリーズ第20弾となる『ひろがるスカイ!プリキュア』が番組としては遂に完結した。
歳を重ねる度に時間の経過の速さに悶絶している俺だが、今回はなんだかすごく長く感じたのと同時に完結した感覚がかなり薄い。よくよく考えてみると、ヒープリ以降で続いてた「話数短縮」が今回は一切存在せず、久々に50話前後のエピソードを放映できたのが長く感じる一因なんだろうか。
近年の作品と違い、タイトルだけ発表された段階ではモチーフがイマイチわかり辛く、まさに雲を掴むような感覚で「…空?」と考え始めた作品だったが、後から「ヒーロー」を主題にした作品と判明し、変身ヒロインとして続いているシリーズであえてそれを扱うことと、ヒーローガール→ひろがるというシャレの効いたフレーズがやたら印象的だった。最近になって気付いたが「ひろがるスカイ」も「ひろがる世界」とかけてるのかもしれない。
そして俺が一番注目していたのは、制作スタッフの座組…特にシリーズ構成や脚本担当者なのだが………まさかの「金月龍之介」の名前がそこにあった。そう、ひろプリを語る上で俺は絶対避けて通れないと思う、金月さんは。
金月さんはプリキュアシリーズにおいては常連ではないが、ヒープリでのサブ脚本家としての印象が非常に強く、さらに言えばヒープリの映画の脚本も担当されていた。
絶対に失敗はできない空気感のある20周年記念作、そこにこの方の名前があったわけだが、その時の俺の反応は………失礼を承知の上で言えば「ウッ…!」という感じだったのは否定できない。
決して傾向として脚本の質が悪いわけではなく、破綻も別にない。ないのだが………なんというか、この方の脚本はすごく「わかり辛い」印象がある。わかり辛いという表現も適切ではないのだが、こう………やりたいこと、書きたいことはなんとなくでわかるのだ………わかるのだが「えっ、どういうこと?」「えっと…つまり、これはこういうことなのか…?」「この回、作品としては結局どういうアレだったんだ…?」とイマイチ確証を持てない感じのキャラクター描写や流れが印象的で、深く考えてみれば「これそういうことだったのかな、なるほどなるほど」と理屈的には納得しかけるのだが、別にそこに明確な答えも示されないし感情的にノリ辛い感じ………ヒープリの脚本担当回でも顕著だと思うんですけど、言いたいこと伝わるかなこれ………!?
そんなわけで俺としては、かなり苦手な方向性の脚本を書かれる方なので、中々の不安を抱えながら、ひろプリを見始めていた。
ひろプリのシリーズ構成・脚本の金月さん、ヒープリの担当話(ちゆのイップス回諸々)とか見ると「えっそれはつまりどういうこと?」「これは作品的にどういう位置付けの話だったの?」となるエピソードは少なくはないので、まぁちょい脳内で過剰な補完が必要になるタイプな感じは覚悟した方が良いよね。
— koichil (@koichil) 2023年2月28日
▲放送1ヶ月でこんなこと言ってますからね
だが、不安は徐々になくなっていく。何故なら、作品のテーマがだんだんわかってきたし、それが最終的には金月さんの作風と合致していることに気付くと、楽しみ方が広がるから。
そう、この作品は「ひろがる世界」…全てにおいて「明かさない」から始まるのがスタンダードになっている。
確信…とまでは行かないが、取っ掛かりを持ったのは、スカイランドにおけるツバサ君の安否周りの描写。ツバサ君がソラシド市に迷い込み、そこでの生活を謳歌していることが判明すると同時に「えっ、両親にそれ伝わってないと、かなりアレじゃない…?」という疑問が浮かぶのだが、かなり後に「ちゃんとミラーパッド越しに安否と現況を伝えていました」という情報がサラッと明かされる。
「いやそれは最初から視聴者に教えてくれよ!!!!!!!!!!!」………いや本当にそうなんですよね…。敵の背景を全然明かしてくれないし、めちゃくちゃ引っ張るのも含めて、とにかくそういうのが多すぎるんですよこの作品…。
一番良くないのが「その疑問には後で触れますよ」という姿勢まで中々見せてくれない…。後から開示されたところで、視聴者からしたら「はぁ~~~~????」って感じで気持ち良く納得できるわけないんですよね。
でも恐ろしいことに、これをわざとやってるっぽいし、それこそが肝なんですよね、この作品…。
極め付き…というか、そこに確信が持てるのは、やはりスキアヘッドの存在が大きい。キュアマジェスティの登場と同時に何やら大仰に姿を見せたかと思いきや、その後は脈絡なく唐突に現れてキョーボーグを召喚して何も言わずに帰って行く。
この一連の流れを毎週のようにひたすら繰り返して行くので、ネットでは構成の質の低さを揶揄してネタにされまくっていたのだが、もうここまでのレベルだとわざとやってるとしか思えなかったし、作品テーマから逆算すれば「ひろがる世界」を否定するために「中身が見えない、何も教えてくれない」キャラクターとして配置されているとしか考えられなかった。最後まで見た人ならわかると思うが「力」の使い方を広げようとしないラスボスだったわけで、これは合っていた。合うな!!!!
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いやでも、俺にとってはこれがすごく面白かった…。物語は終盤から「敵の背景を知ることで解決の糸口を見つける戦い」へとシフトするのだが(ソラ達の目的意識としてはそうだったはず)、結局のところプリキュア側が紋田の背景を知ったところで紋田が抱える問題が解決するわけではないので紋田自身が「解釈を広げないといけない」というところに着地するし、スキアヘッドに至っては徹底的に「理解した気になる」動きへのカウンターを見せてくる。
スキアヘッドの「愛するお方」なんて嘘っぱちだし、それでお互いの関係性はこうだったはずと信じるカイゼリンを裏切るし、視聴者の見立ても嘲笑うかのように裏切って来る。作中の人物視点だけではなく、視聴者視点でも「勝手に解釈することの功罪」を描く挑戦的な構成に俺は痺れてしまったのだ。そう、功罪なので功績と罪過どちらもある。どっちに取るかは我々次第なのだ。
金月脚本の個人的に苦手な部分は先述した通りなのだが、今作に関してはまず、金月脚本を楽しむ上で必要な「深読み深く考える」が作品テーマとして敷かれていたので、かなり作風と合致していた、ということを俺は伝えたいのだ。最終回、特にその中のカバトンさんの描写を考える上で非常に重要なので、わざわざこんな長々と前置きをしているのねん…。
ひろプリ最終回、スキアヘッド*1を浄化する最終決戦のAパートは正直、そこまで良い物だとは思わなかった。
「力」をどう使うのか、これまでにプリキュア側でも帝国メンバー側、そして取り巻く人々でも多面的に描いてきたわけで、その集大成をスキアヘッドにぶつけるのは良いのだが、アンダーグエナジーの「力」その物であるスキアヘッドを追っ払う終着はどうも納得しがたい。一つの「力」に固執していたスキアヘッドに、広がる「力」をぶつける流れ自体はとても熱いのだが、それに敗北したスキアヘッドがそのままどっかに行ってしまうのが勧善懲悪すぎる方向性というか…スキアヘッドのその先を明確に見せて欲しかった気持ちがある。
マジェスティクルニクルンによる浄化作用で変質はしているし、ソラ達の見せた広がる「力」の強さを最終的に認めていたので、恐らくその先というのは存在するのかもしれないが…。スキアヘッドという存在のピリオドとしては、ここで終わっている以上は個人的に消化不良に感じた。
あとは、戦闘の作画がところどころオーバーすぎるというか…カイゼリンに追い出されるスキアヘッドの表情などが濃すぎて真面目なシーンなのにギャグに感じてしまうとか、ましろのガイナ立ちが不自然に感じるとか………まぁでもオールスターズFラストのプーカを守るためにソラと同じ泥臭い表情になるましろのシーンがすごく好きなので、描写意図としては同じような感じということで一旦置いておこう。
エピローグとなるBパート、Bパートは………加点が多かった…というか、4クール見続けた作品でそんなことされたら、そりゃ泣くに………決まっとるやろがい!!!!!!!!!!!!!!
視聴時の気持ち良さを無視してまで描いてきた徹底した秘匿主義………5人の別れシーンは感情とともにとにかく爆発していた…。
まず、ツバサ君のあげはへの告白………そう、隠していた感情を、心を相手に打ち明ける、それが「告白」である。
自分の力で「翔ぶ」という夢から航空力学へ、そして航空力学をあまり学ばなくなっても、自分自身に蒔いた種から夢と力を広げ続け、スカイランドを救う賢者への道に進もうとする少年。たくさんの夢の可能性を見せてくれたと同時に、どこか遠くに行ってしまうような寂寥感もあり、エルちゃんを通してそれが描かれる回もあった。
あげはも最強の保育士を目指す過程で、園児のたける君との別れ、巡り巡って夢が自分の元へ帰ってくる経験を経ている。そんな中で大事な存在であるツバサ君が本当に遠くへ行ってしまうことは、あげはにとっても辛い出来事に決まっている。
その中で………ツバサ君は数ある自身の夢の中でもまだ告げていなかった「あげはのようなカッコいい大人になりたい」という夢を打ち明けるんですよ…………。ハ………ハァ~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!お前………お前~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!
あげはに対してあんなツンツンしてたツバサ君が、最終的にこの夢を抱くまでに至ったことの衝撃はもちろん、最強の保育士を目指して…子供を見送ってきたあげはにとって、大事なパートナーからこれを打ち明けられる意味、わかりますか………。あげはは完全に「知らなかった」んですよ………ツバサ君のこの夢を………それを知ったことで最終的にあげは自身が目指していた「夢」の意味がさらに広がったし、やっぱり巡り巡ってあげはの元に帰ってくるんです………。
ひろがるスカイ…ひろがる世界………レギュラーのプリキュア変身者としては新機軸だった「少年のプリキュア」「大人のお姉さんのプリキュア」という属性………放送中は「物語的に何の意味があるの?」「いや、多様性を考える上では意味を求めること自体が間違っている」といった議論も観測範囲で散見された。どちらも言いたいこと自体はわからないでもない。でもこれは『ひろがるスカイ!プリキュア』だ。意味は我々で考える必要があるし、最後まで見ないと「わからない」が徹底されている。
ひろプリにおける「ツバあげ」とはなんだったのか、子供が大人に抱く憧れなのかもしれないし、大人が子供に気づかせられる夢なのかもしれない。最後の最後で、俺がツバサ君とあげはを巡ってそれぞれに対して考えてきた軸が、綺麗に繋がってしまった…。相変わらず答えを示しているわけではないが、確信できるレベルでそれを魅せてくれたことが嬉しい。それはそうとお前ら早く結婚しろ。
ツバあげ間の「知らなかった感情」を描いた後、そのままソラまし間の話に移るのだが、こっちはまた別のことを描いてるんですよ…。ましろさんの笑顔は最高。そしてソラちゃんも最高のヒーロー………だが、本当はそうじゃないことをお互い認識している…言葉にしていなかっただけでお互い既に知っていることを確かめ合う…。
憧れのヒーローに向かってひたすら孤独に鍛錬を続けていた少女が、初めて敵に勇ましく立ち向かった際の「恐怖への震え」は、ましろしか知らないんですよね…。そして、いくら「力」があっても向き合うことができない事態に直面したソラが、泣き腫らしながら真っ先に助けを求める先もましろ…。
お互いに苦難を背負い合うようになった2人だからこそ、お互いの弱い部分がわかってるし、いざという時は見栄も張らずにお互いを求め合う。ましろだって雨の中で泣き腫らしながらソラに助けを求めたんですよ…。そういう関係性から飛び出す「本当は強くないって、ましろさんが一番知っているくせに…」の破壊力の強さは言うまでもない。言うまでもねえよ…………!!!!
ツバあげのそれとは、また対称的なんですよ…「対照」ではなく「対称」。異なる部分を描いてるけど、揃うと作品テーマとしてピッタリ完成してしまう。お互いを知り合って…広げた世界を確認し合う。やっぱり『ひろがるスカイ!プリキュア』なんですよこれは。お前らも早く結婚しろよ。みなさ~~~~~~~ん!!!!!!!私達、結婚します!!!!!!!!!!!!!!!!!(スカイランド式クソデカ入籍宣言)
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別れるのはソラまし&ツバあげだけじゃない…エルちゃんもソラシド市側にいるましろやあげはと別れることになるのだが、ちゃんと3人のことも描いてくれて良かった…。
エルちゃんが再びマジェスティになれたのは、あげはの励ましがあったからだし…マジェスティになったエルちゃんが戦いに直接巻き込まれることについて考えてくれたのもましろだし………普遍的に描かれていたソラやツバサ君との関係以外も、ここでダイレクトに拾ってくれたの嬉しいんですよね…。
そう、この作品って例年通り特定の組み合わせを強調してるけど、それはそうとプリキュア変身者5人同士の関係性をほぼ満遍なく描いてきたんですよ…これが本当に作風として好きだった。ソラとツバサ君の姉弟のような関係、実質的に姉妹のように過ごしていたましろとあげは、ソラを締め上げるあげは、親に結婚したと勘違いされるましろとツバサ君、エルちゃんは言わずもがな…。なんか変なの混じってた気がするけど、なんだったんだろうアレ。
とにかく特定の一つの組み合わせだけでは、世界が閉じたまま…というところは、長年スキアヘッドに依存し、そこからの脱却を軸に据えられたカイゼリンにも同じことが言えるのではないだろうか。そもそもカイゼリンは他国であるスカイランドとの和平という新しい道に進むところから始まっていたわけだし、最終的に双方向のコミュニケーションがほぼなかったと言っても良い帝国メンバーとの交流がエピローグで描かれるのも、知らない・普段接しない人達と関わることで広がる世界を描いているように思える。
はい、記事タイトルに書いておきながら本題に入るのが遅れてるんですけど、帝国メンバーの話をしたいんですよ。特にカバトンさん…。
俺の中のひろプリの視聴はカバトンさんとともにあったと言っても過言ではない。何を言ってるんだと思われるかもしれないが、誇張でも何でもなく俺の中のカバトンさんのウエイトは異様に大きい。なんでだよ。
ひろプリ本編が始まる前に公開された予告動画でその姿を初めて見せたカバトンさん。その悪役としてあまりにもわかりやすくて強烈すぎるビジュアルにプリキュアファンが沸き始めたことは記憶に新しい。俺も「すんごいの来たな…」と当時から少し気になってはいた。
そして第1話が放送されると*2、そのビジュアルからは想像できないエレガントで俊敏な誘拐劇を披露。見た目通りのパワフルなタックルも見せたほか、プリキュアに向けて放屁攻撃をかますという本シリーズにおいてはどう考えても衝撃すぎる姿を魅せつけてくる。俺はもう堕ちた。かいけつゾロリのキャラかよ!!!!???
それ以降もこれでもかというほどに「最初の悪役」らしい言動を続けていたカバトンさん。プリキュアシリーズを見続けている人達にはわかってもらえると思うのだが、こういうタイプの悪役は逆に珍しい。ヒーローを主題にした本作において、わかりやすく割り当てられたそのロールをこなすカバトンさんの中の格が何故かどんどん肥大化していく…。
そう、何故なのか…。見た目通りの小物っぽい悪役のカバトンさんの中に見え隠れするのは「知性」「品行の良さ」「本気の渇望」。俺は頭を苛まれていた…。この手の悪役はお調子者だったり、余計なことをして作戦に失敗するパターンが多いのだが、カバトンさんの場合はエルちゃん誘拐という任務を果たすために結構全力を出している。ドジも踏まないし、妙に行儀の良い部分もある…いやポイ捨てしたバナナの皮は踏んでたな…。
キュアウィング登場エピソードでは、小さい姿ながらもエルちゃんを守ろうとするツバサ君を見て背景に何かあるような匂わせを見せるし、敗戦が続きひもじい生活に困窮する様子もあった。そう、背景を一切明言せずに各種の言動だけで視聴者に考えさせる本作の作風の先鋒とも言えるキャラクター…。
俺は考えた。考えたけど、これは『ひろがるスカイ!プリキュア』なので答えは別に明示されない…。しかし、ソラに対して持ちかけた背水の陣とも言えるタイマンで負けてしまった際に「強い生への渇望」を見せたのは確かだ。最終的に卑怯な手を使ったことに失望した人達もいるだろう。でも正々堂々としたタイマンを仕掛けた気持ちも本物のはずで、それを無下にする選択肢が取れてしまう程に困窮し、渇望を見せていたことに他ならない。
そして処刑されかけるカバトンさんを助けるソラ。自分達を散々苦しめてきた敵を助けた理由は「わからない」「そうすることが正しいと思った」という回答で幕が引く。
一体、視聴者の何割が腑に落ちたのだろうか…。そう、これは『ひろがるスカイ!プリキュア』なので、わからないし明かされないのである…!なんちゅー作品だよ!!!!
でも俺は腑に落ちた。カバトンさんを助けたいと思ったソラの気持ちが理屈ではなく、感覚でよくわかる。だって俺はカバトンさんが好きだし、一視聴者としてカバトンさんが抱えているであろう未知の背景をずっと考えてたんだもん…。真剣勝負を持ちかけてきたカバトンさんが命乞いをする様子を見て、ソラは一瞬でカバトンさんの抱えている背景を感覚的に理解したんだよ。「あなたが心配だよ、助けたいよ、気持ちは同じ…」。
その後、ソラシド市で再出発したカバトンさんの様子が度々描かれはしたものの、それっぽいフレーバーを漂わせるだけで、カバトンさんが一体何を抱えていたのか明確に説明されることはなかった。
じゃあ一連の流れは無駄だったのか?カバトンというキャラクターに愛着を持てる要素や、描写の積み重ねなんて、ほぼないのか?そんなことはない。そんなことはなく最終回で描かれたアンダーグ帝国の未来を考える上で非常に重要だから、俺はこの記事を書いている。というか実はもう書きたいことはカバトンさんのことを書く前に書いてる。
アンダーグ帝国という敵組織の軸はなんだったのか。お互いを知らなかった人々同士が関わることで広がる世界と解釈、一つの種から無限に広がる「夢」と「力」…これがプリキュア側で描かれてきた話。
そこからシンプルに「反転」させるのであれば、お互い見下しながら不干渉を貫く、関係性が広がる種を排除し特定の対象に依存させる、アンダーグエナジーという「力」の使い方を武力一つに絞る………とにかく「広げない」ことに徹底させていたのが、帝国の描かれ方だったと思う。
俺はSNSで言われていた「悪役会議がないので敵に魅力を感じにくい」という考えに疑問を持っていて(だって俺は魅力をすごい感じてるもん…)、そもそも悪役会議がなくても悪役は悪事をしているシーンでキャラクターや魅力を出せるし(俺はそれで好きになったもん…)、鍛えたら拳が光った(←何?)ミノトンのように軸がほぼ敷かれなかった悪役はともかく、バッタモンモンことバッタモンダーなどが表現した強すぎる物語の実在性に心の底から疑問を抱く人は流石にいないと思う。
プリキュアの描写にウエイトを大きく割くために悪役会議がなくなり、これまでの作品から失われた物があるとしたら、それは「悪役同士の関係性」の描写なのだが、先述した通りこれは作品テーマから意図的に失わせてる可能性がある*3。結局のところ、何か負の引っ掛かりを感じたのであれば、それは悪役会議の排除に起因した物ではなく、僅かな描写から視聴者に敵について解釈させる作品の意図に合わなかったのではないだろうか。いかん、説教みたいになってきた!
かなり暴論に捉えられる節はあるかもしれないが、事実としてこの作品はスキアヘッドを通して「何があったのか教えてください!」「教えない」…そして「教えたけど、アレ大嘘っすw」を念入りに組み込んでいるので、俺が勝手に解釈しているに過ぎないにしても俺は確信をすごく持っている。
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最終回のエピローグの話に戻したい。お互いに交流が希薄だった帝国メンバーには当然、カイゼリンも含まれていて、ソラシド市での生活を一旦置いてまで自身の元へ来てくれるカバトンさん達に、カイゼリンは「何故こんな私に付いてきてくれるのか」という疑問をぶつける。これ、まさに悪役同士の関係描写の薄さに疑問を呈していた人と根幹が全く同じなんすよ。やっぱり自覚してるし、どういうわけか意図的に描いてるんだよ…ひろプリなので…。
ここでカバトンさんは何と答えたか。もったいぶらなくても、わかりますよね…「そうすることが正しいと思った」………ズ…ズ…ズルいよ………ズルいだろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!キレてません、感動で泣いてます。グショグショに泣くでしょ、そりゃ。
かつて自分を救ってくれたヒーローガールの言葉と本当の「力」の強さを………カバトンさんはずっと胸に抱いてソラシド市で再出発していたんすよ…………………。最終決戦でミノトンと背中を合わせて「俺達、ヒーローに向いてるかもな?」とか言ってたカバトンさん………未遂とはいえ自分を処刑しようとした上にあまり細かいことは知らないであろうカイゼリンを救おうとするのは、同じくお互いのことを深くは知らないカバトンさんの目を見て助ける決意をしたヒーローガールその物でしかない…。
すげえよカバトンさんは…。俺だってカイゼリンが今まで受けてきた仕打ちを見てきたから、カイゼリンには救われて欲しかったし、それを成すのはカバトンさん達であって欲しかった。でも簡単じゃねえだろ、交流がそこまでなかった上に1回殺しに来た相手を「なんとなく」で助けようと思うのは…。ソラがきっかけなのは間違いないが、ソラに助けられた後に自分で世界を広げたのは誰でもないカバトンさん自身なんすよ…。
担当期間中も絶対悪役向いてないだろコイツ!になったミノトンは、相変わらず強い信念でカイゼリンに付いていくし………。バッタモンモンは………変わらずカス!!!!!!!!!でも自分の「非力」から生まれた意志を照らされた道に広げられるようになったお前は最高にカッコよかったぜ…………いや本当にカッコよかった…………紋まし回ベチャクソに泣いたので………ましろの絵本がここまでコイツを導いたのがあまりにも神話すぎて泣いてる………。カスのままそれを広げられようになったからこそ成立する「君たちが行かれたら嫌なところ」の助言、本当にカッコいいよ………。
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一体なんなんだこの作品は………いや「作品に粗を感じるのは、作品の見方がズレているからだ!」みたいなムカつくことをここまでダラダラと書いてきましたけどね…俺だってこの作風や方向性はふざけてると思うし、エンタメとして作品を見ようとしている視聴者にそこまでの「解釈」を求めるのは横暴すぎると思いますよ。それで視聴者が楽しくない気持ちになったら、作品としてはダメなんです…俺の好きなシリーズじゃなかったら、きっと真逆の立場を取っているだろう…それは事実。冒頭に書いてある通り、やっぱりこれだから苦手なんです…金月脚本…。
でも今回は苦手なりに向き合い方を「考えて」みたら…沼に足を入れることになってしまった…お、俺の敗北………。「キャラクターの関係性の描写が薄いじゃん」「このキャラクター、何もわからんしどういう感情で動いてんのかわかんないよ」という当たり前に抱く不満に対して考えさせられて…もしやそういうことなのでは?という確信を持たせられて…最終的に「結局わかんない」「でも、わかんなくてもお互いに繋がって考え合うことで世界は広がる」という答えを提示されたら………もう勝てねえんだわ………無敵の作品か?ここまで書いたことでスキアヘッドの最後の「私の負けだ」を理解してしまったので、本当に負けなんです…。
繋がってそうで本当に繋がってるか?いや繋がってるか………という作風の金月脚本を活かすに当たって、間違いなく最高峰の極地とも言える作品だった。最高峰の極地?
この作品、良い感じに終わりましたけど…でも思い返してみると明らかに回収してない描写も多すぎるんですよね…一々挙げませんけど。それについて説明もしない………やっぱりふざけた作品だし、大仰に「5人の別れ」を描いた後にトロプリもびっくりの速度で「再会」させてしまう。でも「私達の物語はまだまだ続くし、広がるから」という締めで全部肯定させられてしまうんですよ…。
たくさんの人から注目を特に浴びる20周年記念作で、見る人(と言ってもこの流れで対象になるのは大人だが)の気持ちを無視してまで、作中でも作外における構造でもテーマをここまで一貫させる。その挑戦に俺は拍手を送りたい。他の誰がなんと言おうと、やりやがった!と叫びたいんだ。なんかリュウソウジャーみたいな感想だな!
何より、普段俺が考えることの少ない「悪役」のキャラクターについて、こんなにも考えさせるきっかけを作ってくれたことに感謝したい。いやスマプリから見始めてね、過去作も最近ちょいちょい追って…悪役をここまで好きになることって中々ないんですよ俺。直近だとブンビーさんとかスコルプさんなんだけど、カバトンさん達は本当にそれに並ぶ勢いだった。カバトンさん、ありがとう!(夢原)
冒頭で番組として終わる感覚が薄いと書いたが、ここまで気持ちを出力したらその理由も納得だ。だって本当にソラ達の世界はまだまだ広がるし終わってないんだもん。ふざけてんな~~~~!!!!というわけで、忙しすぎてこの感想を出力するのに3週間かけたんですが、これから「ひろプリ感謝祭」に挑みます。結果的にちょうど良いタイミングなのか?
まだ「終わってない」「何もわからない」「ひろがる世界」を楽しませていただくぜ!!!!!!!!!!!!!!
#ひろプリ感謝祭、2日目のプレミアム公演だけ鑑賞。ひろプリについて書きたいことは大体ブログに出力したんですが、また長々と書きたくなっちゃうの良くない…。
— koichil (@koichil) 2024年2月18日
なるべく抑えたいんですが、とりあえず後日談のショーから。
………いやほぼ満遍なく拾われてたから逆に書けねえ!!!!!!!#precure
▲楽しんだ結果(だからそんな長いなら記事に書け!!!!!!!!!!!)