まぎかる゜火葬場

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『フレッシュプリキュア!』感想ベタ貼り(第27話~第50話)

 

 

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▲前回の記事

 

フレプリ無料配信に合わせた毎日1フレプリ、がんばるプリ!!!!!無理プリ!!!!!!!!

 

 

 

 

第27話「夏だ!祭りだ!オードリー!!」

第28話「大切な記憶!おじいちゃんとの思い出!!」

第29話「謎だらけの男!カオルちゃんの正体!?」

第30話「タルト危機一髪!正体がばれちゃう!?」

第31話「ラブと大輔!仲直りのしかた!」

第32話「さようなら!タルトとシフォン!!」

第33話「美希とせつなのこわいもの!」

第34話「インフィニティ現れる!明日を取り戻せ!!」

第35話「シフォンの隠された秘密!」

第36話「新たな敵!その名はノーザ!!」

第37話「シフォンを守れ!プリキュアの新しい力!!」

第38話「クローバーボックスをさがせ!!」

映画 フレッシュプリキュア!おもちゃの国は秘密がいっぱい!

第39話「ケンカは禁止?沖縄修学旅行!!」

第40話「せつなとラブ お母さんが危ない!」

第41話「祈里と健人の船上パーティ!」

第42話「ラビリンスからの招待状!」

第43話「世界を救え!プリキュア対ラビリンス!!」

第44話「妖しき草笛!奪われたシフォン!!」

第45話「4人はプリキュア!クリスマスイブの別れ!!」

第46話「サウラーとウエスター 最期の戦い!!」

第47話「世界が変わる!ドーナツが起こした奇跡!!」

第48話「最終決戦!キュアエンジェル誕生!!」

第49話「驚きの真実!メビウスの本当の姿!!」

第50話「笑顔がいっぱい!みんなで幸せゲットだよ!!」

 

統括感想

け~~~~っきょく完走までに時間かかっちゃうんだな~~~~~わかってたけどよォ~~~~~~!!!!!!!

というわけで、見終わった………!!!遂に!!!!!あたし完璧!!!!!!!!

言いたいことは各話の感想で長々と出力済みだから、実のところ書くこと逆にあんまないな…?って感じで困ってるんだけど。一応書きます。

 

後半戦は前半戦ほどの強い印象が残るエピソードは少なかったという印象。前半戦の勢いとテンションが凄すぎて、これ最終回までちゃんと続くんか…?という勝手に上げたハードルの高さは超えられてなかったと思う。

それでも最終盤にかけての、これまでイースの回想にしか登場しなかったラビリンスという未知の世界に突入して、クローバータウンで積み上げた日常と戦いの描写を一気にぶつける………そこに「本当の幸福の形とは?」という命題をプリキュアらしかぬ機械的でSF的な舞台で突き詰める展開に、おもしろさを感じられず日和ってる奴いる?いねえよなぁ!!?

 

「幸せ」「不幸」ってテーマにするには概念的すぎるというか、題材としては風呂敷の広げ方に限界がなさすぎて難しいよね、という課題はあったと思う。

でもフレプリはそこに「自分の意志で選択するという納得」「幸せの形は各々でバラバラ」「バラバラだからこそお互いに衝突も補完もし合う」「登場人物は敵味方問わず色々な形を知ったので、幸せの形が一つしかないラビリンスを変える」というロジックをブチ込んで、掴みどころのないテーマの固体化に成功した作品と俺は言えると思う。

 

個人的に評価したいのが、それぞれの立場で積み上げた「幸せの道」その物を、それぞれの立場にあるキャラクターが自分で否定しなかったことにある。

全ての元凶・悪役として配置されているメビウスという「ラビリンスの願い」が敷いてきた幸せの道は果たして間違っているのか?ラブニキ達は当然「それは幸せではない」と答えるだろう。というか普通にそう言ってる。ラブニキ達は色々な幸せの形が当たり前のように存在する世界で暮らしてきたのだから、当然の流れである。

一方でイース達の視点ではそうではなかった。プリキュア達の日常に接近してしまい、多様な幸せという光に焦がされてしまったイースはともかく、ウエスターなんかは最初から最後まで敷かれた幸せに心の底から喜びを見出している。一貫して「でもその幸せとは別の幸せも四ツ葉町で実感した」という形でメビウスを完全に否定してるわけではないし、仲間達の不幸を見捨てられない仲間思いの漢だからこそ仲間達の道を阻害するメビウスに立ち向かっているというだけだ。

メビウスの考える「幸せの形」を否定すること自体が、そのままだとラブニキ達の考える「多様な幸せの在り方」を自分で否定することに繋がってしまうというパラドックスが存在するので、作品としては敵味方双方で自分達を積み上げてきた道を否定しないようにするという構成になったのだろう。ここがしっかり出来てるから、作品に対する納得と同時に描写が好きになれるという話。

 

そして「自分の意志による選択」の話を世界観やドラマでしっかり突き詰めてきたからこそ、シリーズではお馴染みの光景である「突っ立ってプリキュアを応援するだけ」という行為に俺が最も胡散臭さを感じない作品であった。胡散臭さを感じないどころか、あまりにも熱情が…確かに俺の中で溢れるという実感すらあった…。

「応援」という行為の意義に説得力を持った構成になってるので、もしかしたらアイドル題材のキミプリ放送開始記念の配信作としてフレプリが選ばれた…のかもしれない。俺は心がキュンキュンしてるからな…。

 

その応援の形もわりと様々で、中にはプリキュアの戦闘に加わる一般人もやたら多かったという印象。レギュラーキャラクターの一般人が雑魚戦闘員を処理したり、避難誘導をしたりするぐらいの描写はシリーズだと珍しくないが、本当にただの一般人までがここまでのレベルで介入するのは俺が覚えてる限りだとフレプリぐらいだろう。5GoGoまで見ていた当時のファンは空いた口が塞がらなかったに違いない。

そしてそれを成立させるには、プリキュアの存在などがオープンになっている世界観が必要となる。5GoGo後半とかでも何か急に崩れていた部分だが、プリキュアの存在を秘匿しない方向性を最初から突き詰め、話の広がりがあったのも評価できる部分。

 

例えば、四ツ葉町の住民と動物の心が入れ替わる騒動や面白さなんて、普段のプリキュアでは絶対にできない展開だ。やるんだったら怪物の浄化後に住民達の記憶を消すしかない。

さらに身内の女子中学生には打ち明けられないけど、女子中学生が変身しているプリキュア(正体は不明)には打ち明けられる登場人物の悩みといった描写もそうだ。その悩みの原因の大抵がその打ち明け辛いプリキュア本人に関する物なのだが、だからこそプリキュア変身者が自らの口で問題を解決しようとする後味の良さみたいなところはあるかもしれない。

 

とにかくシリーズにあった「謎の縛り」を「その縛りって別に必要なくない?」「取っ払って最初からこうした方が絶対に話が面白くなるよね?」を徹底していた作品だと思ってて、第1作が故に視聴者の反応を気にせずに好き放題やってた混沌作の初代から、また一歩「成長」が見られる作品と言える。

詳しい経緯は省くが、俺は中身をよく知らない視聴前からフレプリを超人気作だと認識している。その確たる根拠を俺は持ってる。今ようやく、その裏付けを実際の視聴で取れたという感慨が強い。…故に現段階では他作品と比べるとニ次展開が明らかに少ないことが悔やまれるし、その待遇に疑問も多い。主要人物の何人かは声優が鬼籍に入られているので、公式としても少し扱い辛いのだろうか…?

 

ここまで作品の良かったところを書いてきた一方で、明確に気になる部分もあったのは事実。イースの光堕ちの話で噛み合ってない部分が存在するという不満は前回の記事で書いたので、そこは置いておこう。結局、最終回のキュアパッションのパッションに俺は負けたので…。

代表的なのはキュアベリーに変身する美希の軸が非常に不透明で、サウラーに投げかける「笑顔」の話に結びつけるには説得力がないと感じた点。美希やサウラーに魅力がないという話ではないので、一応そこは前置きとして書いておく。むしろ美希もサウラーもメイン回ではない部分の存在感は強いキャラクターで、間違いなく周囲の友人や仲間の掘り下げに一役買っていたのは間違いない。

俺が美希の話で言いたいのは、例えば弟の「一条和希」が美希にとって何だったのかという話があまり描かれてないという点。病弱で気にかけてて、離婚家庭が故に苗字も違うから周囲からは恋人と勘違いされる程の距離感があって、美希にとっては大事な大事な弟であるというのはわかる。そうじゃない…そうじゃないんだ…!

そこに美希の「完璧」「笑顔」がどのように接続されているのか、それを直接的に示した回がないような気がして、あんまわからないんだ…!ラブニキにとっての大輔のように、美希にとっての和希のメイン回が何回かあれば、印象は変わったのかもしれない。でもキュアベリー初登場回以外にないんですよ…。

それどころか、入院しているプリキュアファンの子供とラブニキ達が出会う話の導入になったように、展開の舞台装置のために用意されたキャラクターとすら思ってしまう…。最終決戦に臨む美希の背中を押している通り、和希の背景やキャラクターには強い可能性が俺はあると思うのだが…その素材を何故か調理しようとすらしない点に強い不満を俺は覚えた。

 

ここの不満点が少なくとも視聴中の俺は解消されなかったので、最終決戦で急にサウラーの軸に介入するのが美希になったという事実に、強い困惑は覚えた。裏切り者のイースを歪んだ形とはいえ必死に想っていたウエスターの描写があったので、せつなとウエスターの組み合わせには納得感があったものの、美希とサウラーのそれはやはり…という感想に俺はなっちゃうんだけど、実際どうなんですか?(?)

例えば美希→和希の思いを「完璧な笑顔」と明確に定義して、和希の笑顔を奪ったことがあるサウラーの回とか入れて………そこからメビウスに裏切られる形で笑顔を奪われたサウラーに対して美希が手を差し伸べる流れとか、俺は期待したかったんだけど…。

 

ただサウラー個人の話に絞るのであれば、これはそんな悪くなかった。幸せの形や笑顔を誰よりも勉強・研究していたのはサウラーであり、エゲつない方法(本当にエゲつないのですごい)でFUKO収集に利用していたとはいえ、それはあくまでメビウスから託された使命による行動でしかなく、本心では今の自分の立場に疑問を抱いているような細かな描写はちょいちょいあった…ので納得自体はしやすいのだ。

サウラーも本質的にはウエスターと同じで、レールから外れた幸せの形を表現したかったのだろう。エピローグでクローバー(ダンスチーム)のパフォーマンスにウエスターもビックリするレベルで笑顔を見せていたのも、恐らくそういうことなのだと思う。

 

ここまで各キャラの描写や関わり合い、生き方や意志の変貌をロジカルに組んでいた作品でありながら、美希だけ露骨に十分な物が行われてるように見えないのは、本当の本当に疑問。もちろん、これは期待の裏返しというのは再三だが強調しておくぜ。

ただ、プリキュアファンがフレプリの中でも美希についてはあんま語ってないように見えるのは(主観です)、 なんというか腑に落ちるみたいなところはある。衝撃のシャワーシーン(一瞬だけだろ!)とかが話題として先行してしまうこと自体へのもったいなさに納得を得てしまったのは否定できない。でも本人が「私、完璧じゃない…」と漏らすことがあるように、この腑に落ちなさ自体がキャラクターの生き方の悩みであり、難しいという表現なのかもしれない。なんか良い感じに無理矢理まとめた。

 

色々書いたが、総合的にはムッチャ良かったです…フレプリ。正直、忙しすぎて…このタイミングで見るのも消極的だったんですけど、後悔はない。仮に後悔があるのだとしたら、その後悔を俺は絶対に否定したくない。そういう作品!!!!!!テーマ性だね。

 

後日談となる小説版も存在するらしく、普通に読みたいのだが(というか他の小説版とまとめて購入済みだった記憶がある)、ドキプリ小説すら読み終えられてない俺に挑む権利はないので、色々片付いて納得の行く状態になったら読むし、改めてここに感想を乗っけようと思います。

 

 

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