まぎかる゜火葬場

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『トロピカル~ジュ!プリキュア』による苦しみから解脱した【感謝祭も終えて】

なんか作品をdisってるみたいな見出しですが、読んでいただければわかる通り、そんなことはないのでご安心ください。

 

『トロピカル~ジュ!プリキュア』が終わった。歳を重ねるごとに時間の進みが速くなっていることもあるが、あっという間の1年だった。

 

放送は最終回を迎え、既に次の『デリシャスパーティ♡プリキュア』が絶賛放送中だが、例年通りであれば終着点としては『トロピカル~ジュ!プリキュア感謝祭』で展開される物語がそれなので、トロプリに対しての俺の中の区切りは一旦様子を見ていた。直近に発売されたポケモン新作で忙しいというのもあったけど。

 

というわけで、トロプリ感謝祭は1日目の昼公演と夜公演をどっちも楽しんできた。皆さんお疲れ様でした。まずはこの情勢下で無事に開催されたことが何より嬉しい。

感謝祭への思いは正直、1記事書けるほどに溢れ出しているのだが、それを全部行おうとすると日常生活を大幅に削ることになってしまうため、ひとまずTwitterの感想の検索結果のリンクだけ貼ってご勘弁いただきたい。

この記事はどっちかというと、トロプリという作品自体よりかは、俺の作品内外問わずのトロプリに対する感情を総括する感じのアレで、感謝祭については記事の最後にもうちょっとだけ触れようかと思う。

 

公演中は自分でも嫌になるぐらい、泣きべそをかきまくった。配信だったら部屋の中で一人、思いっきり泣き叫びたかったぐらいだ。会場内なので、頑張って嗚咽を漏らすのを我慢したが、最後の方はもう抑えられなくて小出しにせざるを得なかった。隣の席の人達、本当に申し訳ない…。

関係者方々もファンも、トロプリは元気をくれる作品と謳うが、俺にとってはそれは疑問でしかない。情緒がズタズタで逆に俺は何も出来なかった。

twitter.com

 

そう、放送中はとにかくトロプリに振り回される1年間だった。愛か?呪いか?俺は愛ではないと思ってる。執着、妄執、それによる俺と作品間でお互い塗り合う呪縛。ほとんどの状況において前向きに使われる「推しがしんどい」という言い回しがあるが、正直、俺のトロプリに対してのそれは非常に醜く、決して前向きに捉えられるものではなかった。こういう何かズレてる恥ずかしいポエム表現が続く記事なので我慢してください。ポエムにすらなってないのでは?

 

1年以上前、2020年の12月だったよな確か…。トロプリという作品がヒープリに続く新番組として発表された時は「お、シリーズディレクターは土田さん!ヒープリが結構重かったし、今回はギャグ強めで行くのかな~*1」「プリキュア達の格好かなり開放的だな…」ぐらいの反応だった。

特に作風みたいなところは前作ヒープリの解釈に物凄くエネルギーを使い、視聴に滅茶苦茶疲れたというところもあり*2、トロプリには「脳みそ空っぽで楽しめる」作品みたいなところを期待していたところはある。

 

だが、蓋を開けてみたら、少なくとも序盤の段階では思ったよりはしっとりした作りの作品で、良い言い方をすれば地に足をつけている、悪い言い方をすれば期待していた楽しみ方が出来なさそうで、いつも通りのプリキュアかもな~ぐらいのちょっと後ろに引いたぐらいのテンションで作品を楽しんでいた。*3

 

プリキュアを探しに地上へやって来た人魚の女の子・ローラというキャラクターは今までのプリキュアシリーズにはないポジションと動かし方で、心をちょっと動かされはしたが、まぁ非プリキュア(※ラメール発表前)ならそこまでは出来るやろなぁ…いつも通りかもなぁ…ぐらいで適当に受け入れてたのは事実。いやお弁当回とかめっちゃ面白かったし、ミックストロピカル回もまなロラの関係値の変化が見られて非常に良かったですけどね。

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…が、どうだ!!!!!!!

 

(※ローラとみのりが入れ替わった回の反応)

 

この作品は、サンドアート回からローラの描写を中心に牙を向け始める。

プリキュアを野望のための捨て駒呼ばわりし、その強欲さや気持ちをストレートにぶつけるほどの性格をしたローラが部活動を通して「日常への憧れ」を言動に、表情に、徐々に繊細に滲ませてきたのだ。

これだけなら「ツンツンしてるキャラクターが徐々にデレていく」という、よくありがちな構造なのだが、トロプリという作品においては全く違う。

 

この作品は、ローラにとっての「日常」を「まなつ達と全く同じ条件で一緒に送るもの」、そしてそれがローラにとっての「今一番大事なこと」という番組テーマに絡めた形で徹底的に集約してきた。

人魚であるローラはサンドアート回以降に自身に芽生えた日常の楽しさを自分のために実現するため、ヒレ立ちという無理をしてまで人間に擬態し、部活動に参加をした。

地上での日常を重ねていく度にローラの中の他メンバーや人間への思いはローラの予想を超えて強まっていくのだが、みのりとの入れ替わりで得た経験含め、最終的には人間ではない自身が他の仲間と同じように日常を楽しむことができないことに完全に気づいてしまうというのが、キュアラメール変身直前の第16話における「登山」で描かれた。*4

ローラといえど、尾ヒレではどうしても登山ができないし、他のメンバーと「歩幅」を一緒に合わせる、合わせられるのは不可能なのだ。

ゆかいな おんかい
ほはば あわせ のぼったら
はしゃぎだす ねいろ
はばたくそらで あそぼう
▲「なかよしのうた」作詞:六ツ見純代、作曲・編曲:高木洋、歌:ローラ(CV:日高里菜)

 

それに気づいてしまった俺は…俺はもうダメだった…。サンドアート回以降、ローラの言動・表情全てが気になり始めてしまい、ローラのことを思う度に苦しくて死にそうになってしまった。

終盤…終盤なら百歩譲ってまだわかる…表向きギャグ満載のトロプリという作品で何故俺は序盤からこんなに苦しめられなければいけないのか。この辺についてはラメール変身前に感情処理のために吐き出した記事で、当時の思いについてより詳しく書いてるので、暇な人は見て欲しい。12000字ぐらい見てて痛々しい感情が続くので、本当に暇な時で良い。

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そんなこんなでローラが本当の日常に文字通り足を踏み入れた後は、その日常を描きつつ、さんご・みのり・あすかといった他メンバー、キュアオアシス・あとまわしの魔女やバトラーをめぐる物語にフォーカスしていく。

 

正直に言うと、その辺のキャラクター達が抱える縦軸について、俺は最初あまり期待をしていなかった。

何せ、今回のプリキュアは5人もいる。魔女周りの話も本当に「あとまわし」が作劇的に続く感じでかなり終盤まで本格的に描かれることはなく、コロナの影響で話数も削減されている本作において果たしてそれらをきっちり上手く描けるのか???????という疑問を抱かざるを得なかった。俺自身がキャラクターは少ない程、描写を強く積み重ねられるものだと思っている節があるというところもあるだろう(あくまで傾向の話です)

 

が、作品作りなど徹底して行ったことのないようなそんな素人の懸念なんぞ、プロはわかっているのだろう。そもそも、そこに一番悩み抜くのは俺ではなく、制作陣だ。

さんご・みのり・あすかについては最後のメイン回はどれもほぼ文句なしの終幕で、ローラの踏み入れと同じように咽び泣いてしまった。キャラクターの成長が見れるお話自体も良いのだが、何よりトロプリという作品が1年をかけて積み重ねてきた作劇こそが一番弾けていただろう。

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さんごは恐らく多くの視聴者が思ったかもしれないが、とにかく「メイン回」が他メンバーと比べると少ない(ように感じられる)。そもそも控えめな性格ということもあり、キャラクターの会話に混ざる場面も多くはない。バトルでは唯一の盾役として、ほぼ必ず見せ場はあるものの、日常においてもとにかく「かわいい」を突き詰め(実際かわいい)、それで存在感を保っているキャラクターという印象を俺は受けた。

だが、それは意図したバランスだったというのが、モデルオーディションへの応募と、そこでさんご自身が気づいた「自分の信じる"かわいい"だけではなく、大勢の"かわいい"を守りたい気持ち」で判明する。

その前のファッションショー回では、自分の「かわいい」の表現を成立させるための、舞台裏のたくさんの運営スタッフによる努力を見てきたさんごだからこそ、裏方に徹底することで広げられる「かわいい」に気づけたのだ。

そこまで目立たない、裏方に徹するという部分は、日常における部メンバーとの関係性や、バトルでキュアコーラルとして守りに徹する場合においても同様であり、最終回のトロフェスの劇で描かれたまなつ→ローラの感情吐露を見て真っ先に涙を流すのも、同じクラスの1年生として2人を一番見続けた彼女だからこそなのだろう。

 

みのりは「踏み出す勇気」を最も体現したキャラクターだったと思う。小説が酷評された過去のトラウマから一度は筆を折ってしまい、それでも作品に反映させられる『リアリティ』を求め、部活動に参加をしていた。大勢の前ではあまり目立ちがろうとしない彼女が、文化祭のトラブルで自らメイクをして立ちに行ったのは印象的。

彼女は既に遅くない段階で「成熟」していたキャラなのだが、「伝説のパパイア」を求める回では自身の変身後のモチーフにすらなっているパパイアを実食したことがなかったことが判明。『リアリティ』を追い求める彼女にとって、踏み出せていなかった部分ということもあり、トラウマを抉られるが、実食したパパイアの美味しさを自らが部活動で得た「過程」と重ね合わせ、ようやく「完熟」したと言っていい。

極めつけはやはりトロフェスの劇。彼女自身が体験し、見てきた「トロプリの物語」を『リアリティ』として実際に反映させた劇の脚本は、ローラの決心による脚本の変更、そして1年間積み重ねてきたまなつの『リアル』その物と言える感情吐露と、ありえないレベルでマッチしていた。本当にありがとう…最高の脚本だったよ…みのり…。

トロプリという作品の作劇に自身も巻き込まれ成長したみのりもある意味では主人公なのかもしれない。10本立て回でもストーリーテラーしてたし。

 

あすかは「今」の仲間を通して、一度信じられなくなった「過去」の仲間や情熱へ再び向き合う過程が描かれた。あすかはローラ並みに好きなキャラだが、実を言えば俺はあすかをめぐる縦軸と終わり方には、そこまで強い気持ちを抱くことはなかった。

それも当然であり、この軸は主に白鳥百合子*5というキャラクターとの再和解(再ではない)がひとまずの終着点に置かれており、俺視点では多く描かれることのなかった百合子との過去より、今展開されていた確執のイメージがあまりにも強すぎたと考えている。

しかし、実はここも作劇が弾けているところで、視聴者視点であすかの積み重ねが一番大きいのは、あくまで「トロピカる部」なので、あすかが百合子との推薦入学をかけたテニス勝負を放棄してヤラネーダとの戦いに赴いたり、百合子との関係性にそこまでの熱を感じないのは滅茶苦茶納得してしまう作りなのだ。

あすかにとって「今一番大事なこと」はそっちなので、むしろ映画で描かれたクッソ楽しそうなあすかなどに、毎回一番感極まっていたみたいなところがある。

というわけで、トロピカる部での経験を得たあすかが高校でも百合子と楽しそうにしているのを見たいので、『トロピカル〜ジュ!プリキュア フェニックス学園潜入編』をお待ちしております!!!!!!頼むよマジで!!!!!!!!

 

キュアオアシス・あとまわしの魔女関連については、もうTwitterでご丁寧に前の俺が長文を書いてるので、ツリーを参照していただければと思う(めんどくさくなっただけ)

 

そんなわけで、とにかく色々杞憂だったのだ…。だからこそ、この作品で描かれる物語に魅入られることは、俺にとって強い『呪い』だった。

その呪いによる影響は精神面だけではない。物理的にもアカンかった。

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突然だが、皆さんは好きな作品のグッズとか諸々の展開があったとして、どれ程のお金を出せるだろうか?恐らくだが、種類によって出すお金はまちまちなのではないだろうか。

俺はゲームとか本とか資料とか、そういう類のものは結構買うが、フィギュアや缶バッジのような鑑賞・オシャレなどに徹する類のグッズは、よっぽどでなければあまり買わないようにしている。まずこういうのを買ってたらキリがないし、それらを置くようなスペースもないからだ。

理由は異なるが、配信で見れるような作品の円盤などの類もわざわざ買ってもな…という考え方は強いというか、そもそも円盤自体が俺視点では価格的に滅茶苦茶ハードルが高いということもあり、そういうのも中々買う機会はない人間だった。

 

…だが、トロプリは違った。

とにかく作品への入れ込み方がシンプルに異常だったんだと思う。プリティストアで現行作品として展開されるグッズを中心に、買いたくなってしまった…。飾りたくなってしまった…。

 

2012年の『スマイルプリキュア!』からシリーズを見続けて約10年、遂にトロプリのBDも全4巻をポチってしまった。ガチ勢(これカジュアルに使って良いワードじゃないよな?)からすれば好きな作品の円盤を買うなんて当然の行為なのかもしれないが、いうてトロプリは4クールもある。全4巻で10万円だぞ………!!!!生半可な覚悟で出せる値段では決してない…。俺が崇めに崇めまくってる『魔法つかいプリキュア!』にすら手を出したことのない領域に遂に踏み入れてしまった…。

 

買う動機は色々あるだろう。作品やキャラクターが好き、愛を示すため、『今』しか買えない、商品価値を企画側に『理解』してもらうため…俺は全部複雑に入り交ざっている。一つに線引きを行ったとして、その欲望が簡単になくなるわけではないのだ。

 

映画やイベントといった展開も同じだ。特にこれらの体験は本当に『今』でないと味わえない。ライブの当選に喜び、感謝祭では体が全て破壊された。

トロプリの映画なんて5回も観に行った。ガチ勢(だから主語的にどうなのそれ?)からすれば「たったの5回でござるか~?」かもしれないが、よっぽどでなければ俺は同じ作品を2回以上見るということをしない。俺にとっては異常すぎる鑑賞回数なのだ。

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グッズ類は毎回5人買ってたら流石にアカンというのはわかってたので、主にあすかとローラの2人に絞ってはいたが、それでもみるみる減る口座残高へ強い焦りを感じてしまった。

なるほど、愛への欲望の処理というのは、こんなにも苦しいものなのか。色々な要因もあってそこまで手を出してこなかったという経験不足もあり、金銭管理がド下手すぎるとしか言いようがないのかもしれない。小さい頃に好きな物を中々買ってもらえなかったりした人は、将来的にその対象へセーブが効かなくなるというのはよく聞くが、多分それなのかもしれない…。成し遂げられなかった『今』が発する未来への呪い…!あぁッ…シャンティアッ…!

 

極めつけはトロプリという作品自体が「今一番大事なこと」というテーマと、各種時限付きの展開がめっちゃ相性が良いという点。小指が赤い糸で結ばれてるコンビかチクショー!

しかもこれみんな薄々感じてたと思うんですけど、トロプリって明らかにグッズだのイベントだの展開の頻度が異常じゃなかったですか?ヒープリはコロナもあってそこら辺アレだったけど、スタプリまではどうだった????当時はそこまで作品に向き合ってなかったから俺が知らんだけ??????解像度が高まっちゃったから多く感じるだけなの????どうなの?????

 

やっぱりこれは愛ではなく、執着・呪縛なのではないだろうか…。自分でもわからなくなってくる。愛に苦しむ自分哀れアピ乙~~~と思われるかもしれないが、本当に苦しいんですよ…。

そしてそれはトロプリという作品が放送してる間はずっと続く。どんどん思いが強まる作品に対して「物語が終わって欲しくない」と「作品は早く終わってくれ」という矛盾した感情がぶつかりまくる。俺はトロプリを一体何だと思ってるんだ…?幸せを本当に願っているのか…?その悩み自体も苦しさに繋がるのだ…。

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しかし時間はそれでも止まらずに流れ続ける。トロプリは終わった、終わってしまった。

こんなにも好きな作品が、終わったことで安堵を感じてしまうというのはいかがなものだろうか。でも俺は苦しみからようやく解放されたんだ。

作品が終わって意外と「ロス」を引きずらずにいられたのは、物語が後腐れなく終わったのはもちろんだが、そういうところもあったのかもしれない。

しかし例えば『魔法つかいプリキュア!』なんかは、いまだに俺はロスを引きずっている。本編終了後も異常なぐらい供給があったのに…。違いをじっくり考えてみると、その原因がなんとなくでわかったかもしれない。

まほプリをリアタイしていた時は、トロプリと違って当時の各種展開などを積極的に追っていなかった。それもそのはずで、俺がまほプリに掻き乱されたのは最終回手前の第49話を見てから。

まほプリに対して今でも感じる「後悔」を味わいたくないから、俺はトロプリに全てをぶつけていた。ロスを感じないのは、もしかしたら後悔を感じさせないほどに最初から最後まで作品の『今』を追い続けたことへの裏返しなのかもしれない。なるほど、これが作品が伝えたかったコト…!?勝手にそう解釈してろ!

 

そんなこんなで作品への最後のケリを付けに感謝祭へ参加した、という話に戻る。

2022年は毎年春恒例の「オールスターズ映画」がどうやら存在しないようだ。秋のデパプリ映画もどうなるのか、まだわからない。

トロプリロスが思ったよりないのは事実だが、それでもトロプリの物語としては、ひとまずこの感謝祭が最後の供給となる可能性があるのは強い寂しさを隠せない。

東映特撮で言えば、ファイナルライブツアーと同じポジションである感謝祭だが、アレだけ作品内外で『今』を走り続けたトロプリ、その『今』が遂に終わりを迎える。あんな元気で前向きに懸命に生きていた漫画のキャラクターが突然の死を迎える衝撃展開と似たような感覚すら覚えてしまう…。

 

語りたいことはめっちゃ多いのだが、この記事を読んでいる人達も多分そろそろ辛いと思うし俺も早く次に進まなければならないので、なるべく簡単に感謝祭の感想を加えたい。

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俺自身、現地の感謝祭が初参加なので間違ってたら申し訳ないのだが、まず昼公演。これは「ファミリー公演」と呼ばれており、文字通り家族連れをメインターゲットにした公演で、夜公演と違ってキャスト主体のコーナーを大幅に減らし、キャラクター自身によるコーナーを中心に展開している。

もちろんキャスト方々の奮闘を我々大人は知っているが、子供達が見てきたのはやはり作外ではなく作中に登場するキャラクターなのだから、とてもわかりやすいのではないだろうか。

キャラクターショーは親子がビックリしてしまうような、ちょっと黒めのギャグシーンなどをバッサリカットしていたりするのが印象的だった。あとクイズの難易度がかなりマイルドになってたりもしていた。

キャラクターが展開するコーナーでは、会場に来ている子供達に自己紹介をしてもらい、まなつが似合わぬ記憶力の高さを発揮してそれを覚えるというものもあった。トロプリ本編を見た方であれば、まなつにとっての「自己紹介」や名前を覚えるという流れが如何に大事なことなのかは説明するまでもないだろう。

作品のテーマを大事にしてくれた制作陣、キャラクターを愛してくれた子供達、そのお互いの応酬こそが、まさに「感謝祭」であり、やはり昔から今に至るまで子供達のことを考えて、子供達はそれに応えたからシリーズがずっと続いているのだと、その瞬間を存分に噛みしめることができた。

自己紹介を恥ずかしがる子供達や、舌っ足らずで名前が聞き取りづらい子供達も少なくはなく、正直見ていて心臓に悪いコーナーだなとも思いはしたが、キャスト陣がその辺のフォローも徹底していたので極端な事故は起きなくて安心した。キャスト陣にとってもファンの子供達への対応は不慣れなものではあると思うが、やり遂げられるのは流石プロといった感じ。

 

キャラクターショーは上述した細かい違いはあれど、昼公演・夜公演共通の演目なのではあるが、トロプリらしくハッちゃけてるように見えて地に足が着きまくっている構成と脚本で素晴らしい。

今回はそれまでの感謝祭のキャラクターショーと違い、主題歌を歌唱しているMachicoと吉武千颯さんがゲストキャラとして作中に登場するという異例の構成。*6トロフェスの劇の練習が上手く行かないトロプリメンバー達に、観客との応酬という大事な要素を伝え、ヤラネーダとのバトルではそれを実行し、我々観客と一緒にプリキュアへエールを送るという役どころであった。

プリキュアとしてはよくある構成に見えるかもしれないが、これは4クールを重ねた後のトロプリ感謝祭という『場』である。そもそも感謝祭に来てるような人達は、作品からたくさんのエールをもらった人々なので、今度はその観客のエールがプリキュアを始め、歌手陣やプリキュア達に届くことで得られる感動は、双方が1年間の『今』を走り続けたからこそ得られる本物の感情なのだ。

これはこれまでの感謝祭も同じではあるが、今回のトロプリ感謝祭はその点を物語に組み込まれる歌手陣という形で、よりわかりやすくしていたと言っていい。この流れで滅茶苦茶関係ないし台無しなのかもしれないけど、キャラクターショーはくるるんへのフォローがやたら濃厚で笑っちゃったことを急に思い出した。

 

そして今回のキャラクターショーで、俺にとってやはり外せないのは1日目の昼公演だった。

まず、ローラが当たり前のように「シャンティア〜しあわせのくに〜」*7を歌ってくれたこと。映画の要素が本編に登場することは基本的になかったので、しっかりローラ達の中にシャロン…もといシャンティアという国が在り続けたことに、俺は不意打ちを食らって死にかけた。上述したが俺はトロプリ映画を映画館で5回も鑑賞したので、一層嬉しいサプライズだった…。本当にありがとう…。ちなみに夜公演はキャスト陣が前に出てしっかり歌ってるぞ!

 

そして、感謝祭の成功に向けたスタッフ陣の奮闘。

あまりの人気に物販列が地獄めいていることは参加者はみんなわかるだろうし、俺も上述の感想リンクで言及している。そういった点含めて、ファンが喜ぶには至らぬ点も多々あったのだろう。

極めつけはキャラクターショーの変身シーンで事故があり、一瞬だけ「一之瀬みのり」と「キュアパパイア」が同じ空間に存在するという場面が映し出されてしまったことがあった。最近はプリキュアショーに何回か行くようになったが、流石に俺も初めて見た光景である。*8

失敗しないように日々練習を重ねているスタッフ陣ではあると思うが、やはり想定外の事故というのは、どうしても起きてしまう。ましてや、昼公演は夜公演と比較しても遥かに子供の観客が多いので、事態としては尚更重いであろう。

それでもステージの端っこで、みのりを必死にフォローしようとする蟹のおじさんことチョンギーレやマイクヤラネーダの優しさは、スタッフ方々が同じスタッフや観客を思っていなければ見られないものであろう。

もしかしたらキツイお叱りがあったかもしれないし、舞台裏で何が起きてたかは俺は知る由もないが、アレは少なくともそう信じさせてもらえるプロの対応だったのではないだろうか。1年の集大成でそれを見れただけでも、俺は良かったと思える。

 

昼公演だけで感想が滅茶苦茶長くなってしまって早速後悔しているのだが、ここまで来たら夜公演もきっちり書きます…。スクロールバーを見て絶望するのは承知の上なんですが、ご理解ください…。

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夜公演は………夜公演は…夜公演はだな……おかしいな……記憶が朧げすぎる……。真っ先に思いついたのがとにかく俺が死体になっていたことなんだが…。やる気パワー抜かれているどころじゃない…。

 

頑張って思いつく限り書くけど…まず…キャラクターショーには昼公演になかったキャラソンの歌唱があった点か。そのキャラクターを振り返る映像付きで。

実は俺はトロプリのキャラソン類をレンタルしたは良いものの、ほぼ聴いていないので、トロプリライブで歌われたものしか知らない。何故なら俺は色々な楽曲を作業用BGM的に流すことが多いのだが、トロプリのキャラソンに関してはあまりにもそういう形で消費をしたくない気持ちが強すぎるのだ。なので取り込んだキャラソンを聴くこと自体を後回ししまくっている。あれ?これ魔女の後回しの動機と方向性ちょっと似てね?やっぱり愛は呪いという話に戻るの?そんなことない?そうか…。

 

とにかく、そういうこともあり、俺はキャラソンの歌詞をよく知らない状態で聴くことになったわけですよ。で、これの何がアカンかったって、映像に歌詞が付いちゃってるんですよ…キャラクターを振り返るダイジェスト映像と一緒に。

覚悟できてないから泣くに決まってんじゃん…そんなの…1年間の各メンバーの物語やテーマがまさに詰まった歌詞と映像が同時に俺の心臓を破壊するわけです…。これ考えたり映像の構成を作った人、全力で殺しにかかってるでしょ??????

 

んで、キャラクターショー終了後はキャスト陣が登壇してトークやコーナーを繰り広げる感じだった。これは和気藹々といった感じで、純粋に、心を穏やかにして楽しむことができた。今思えば、感情の休憩スポットだったのかもしんねぇ…。

感謝祭に登壇していないキャストを巻き込んだお手紙コーナーめっちゃ楽しかったけど、それにしても本当にコロナ禍だとキャスト陣の方々は一緒にアフレコとかがあまり出来ないんですね…。まなつ役のファイルーズあいと、エルダ役の高垣彩陽が一緒の現場になれたのは、第19話の洋館回だけというのは中々衝撃的…いやこれまでのインタビューとか見てればわかってるんだけど、改めてね…?

 

その後は、キャスト陣による「トロプリ名シーン」の生アフレコと、オリジナルストーリーの朗読劇が。

一旦感情が良い感じに解れたこともあり、「お~生アフレコって豪華やな!そのプロ根性、見届けたるわ!w」と軽い気持ちの中で始まったのだが…。

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1年間、作品を見続けたことを心の底から後悔してしまった。

 

「トロプリ名シーン」は本当に名シーンというか、完全に俺が望む名シーンとして解釈一致の場面を抜粋して流されてしまった…。

作品総括で上述しただろう。まず、トロピカる部の山登りシーンから始まってしまった…。そう、ローラの繊細な心情を明確に表現した問題の回である。

そこからラメール怒りの変身を流すのかと思いきや、落着後のローラが脚生えて感極まって喜ぶシーンに飛んでしまう…。お前ッ…お前ッ…!戦闘シーンより、ローラにとって大事な仲間と足を踏み入れられた日常が重要と申すのか!!!!?????そうだよ!!!!!????????そうに決まってんやろがい!!!!!!?????!!!!!

 

からの~~~~最終回にさらにいきなり飛んでのトロフェス準備シーン(5人揃っての最後の日常シーン)からの~~~激情の演劇シーン~~~~~~~からの~~~~~~浜辺でのまなつ達とのお別れシーン~~~~~~~~~~~~~ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアや゛め゛て゛く゛れ゛え゛ええ゛え゛え゛ええ゛ええ゛ええ゛え゛えええ゛え゛え゛ええ゛え゛生アフレコや゛ぞおおお゛おおおおおおお゛おおお゛おお゛おお゛おおおおおおおお゛おお゛おおおおオ、ォオオ゛オォオ゛オォオ゛ォオォ゛オ゛オ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハァ…ハァ…終わった…?

 

生アフレコ終わった…?

 

まだ朗読劇あるんだよね?休憩させてもらえるんですよね????あっ何かステージが暗くなった一旦引いての休憩だなこりゃ頼むぜ…。

 

エッ…エっ…?なんかすぐアフレコ始まったんだけど????違うの?E?俺の知らない台詞????朗読劇もう始まってんの…?えっちょっと待ってこれって…これ…って…

 

 

 

 

 

 

別れてから再会するまでの話じゃねーか!!!!!!!!!!!!!!!!!!???????????!!!!!!!!???????

 

 

 

不意打ちすぎた…。そう、最終回Bパートのローラと4人がお互いのことを忘却してしまった部分の補完モノローグが短いながらも挟まれたのだ。

▲スレッドの先とかで最終話の感想を長々と書いてるので興味ある方は是非。

 

このモノローグでは、記憶が消されながらも、5人の中に確かに残っている「見知らぬ誰かの幻影」「その幻影から自分が得られたもの」が語られる。*9

本編ではスピーディーな展開で深く掘り下げられなく、それでも俺が『見たい』と渇望した空想上の描写。まんまそれが『現実』にお出しされてしまった…どうして…どうしてそんなことするんですか…。

 

そして、そのままシームレスに「トロプリ名シーン」に戻り、記憶装置破壊のトロプリらしさが詰まった再会シーンの生アフレコへと繋がり、これまたシームレスにオリジナルストーリーの朗読劇が始まった…。

 

朗読劇の全貌は…見れるかわからないけど配信や円盤で是非確かめて欲しい…。俺が一字一句語り尽くすのも失礼であろう…。

語りたい部分があるとするのであれば、最終回で描かれたローラ達の「絶対忘れない」という行動を、トロプリの「日常エピソード」として再解釈した素晴らしい脚本であった…。何があっても、忘れないように、後悔しないように『今』を確かな毎日として生き続ければ、それは宝物になるという話だ。

これは恐らくしばらく供給のないトロプリという作品自体にも言えることで、我々もトロプリを忘れないように『今』を走り続ければ、いつかまたトロプリと再会した時の喜びがかげがえのないものになるという、非常に前向きな気持ちを俺は得られた。

この感情を増大させるには、やはりトロプリとは結構長めに距離を置く必要があるのだろう。だから、俺もトロプリを引きずるという苦しみを得ずに、次番組へ進むことができる。というか既にできていた。既にできていたのは、トロプリという作品が根本的に1年間を通して、それを描いてくれて、それを俺は受け入れられたからである。

 

そして、朗読劇では第34話のまなつが将来の夢として語った「大人になったその時のわたしが一番なりたいものになる!」を意識した、未来へのメッセージも語られた。

突然の自分語りで申し訳ないのだが、俺は昔から「やりたいことが多すぎる人間」で、そのあまりにも膨大な『今』に体が追いつかず、何事も不完全燃焼で、中途半端になってしまうという悩みを今でも抱えている。

結果的に、学業も、仕事も、趣味も、とにかく『今』目の前にあるものを淡々と中途半端に噛みしめるしかなく、これが俺という人間の後ろ向きな生き方なのだと思っている。

しかし、第34話のまなつはそんな俺の生き方を間接的に肯定してくれたのだ。

もちろん、それが良い方向に行くとは思ってないし、実際に行ってはいない。この生き方で迷惑を被っている家族などもいる。広く浅くという良い言い方もあるかもしれないが、改善できるならすべき部分だと思っている。趣味としての夢はあるが、仕事というか人生の大半を占める社会生活における夢を持たないというのは、考えものなのかもしれない。

 

しかし、「大人になったその時のわたしが一番なりたいものになる!」は、そんな俺だからこそ希望を持って未来を見据えることができる、本当に勇気づけられる台詞だ。

体が動く限り、どんなものが対象でも良い…やる気を中途半端でも向けられる限り、とにかく『今』あるものを大事にし続ければ、積み重なる『今』がどんどん輝き、希望のある将来に続くかもしれない、いや必ず続くという希望を持てた。

こんな歳をある程度重ねた俺でもそう受け取れたんだから、作品のメインターゲットとなる子供達、未来が無限大の『今』を生きる子供達にとって、これがどんなに強いメッセージなのかは計り知れない。

 

今回の朗読劇はまさにそれを中心的に拾った脚本だったので、もう俺は胸を必死に抑えて感情の露出を我慢しなければならなかった。誇張じゃなくて本当に抑えて苦しかった…。

トロプリ感謝祭、この流れで「なかよしのうた」歌いながら締めに入るんですよ?もうそれがどれだけ惨いことなのか、わざわざ書かなくていいですよね??????

 

そんなこんなで完全に泣き腫らしながら、感謝祭は終幕したのであった。終幕直前にトロプリOP歌うんですけど、もうこれで終わるのかと思うと本当に悲しさと達成感と苦しみからの解放とかもう滅茶苦茶な感情で「なんでこの明るい曲でこんなズタズタにされないといけないんだ??????」と呪う気持ちでいっぱいでした…。

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はい、記事も終わりそうな流れですが、トロプリを追った1年間を語る上で、絶対に書かないといけない存在があるので、これも書かせてください。

それはやはり、作品を一緒に追ってくれた方々だろう。Twitterなどで感想を語り合ったりするだけではなく、感謝祭をはじめ、各種トロプリイベントやらスイパラコラボやらドリームステージやらとにかく数え切れない場を一緒に楽しんでくれた方々もいる。

 

俺の形成してるTLでは、スタプリぐらいまでは、わりとほぼ一人で淡々とシリーズを追っていたところはあるので(もちろん、まほプリ単体とかで繋がりは既にありましたが)、こういう現行作品1年を通してリアイベとかも含めて、みんなで追うというのは結構プレミアムな体験だったと思う。これこそトロプリらしく『今』しか感じられないものだと思うんですよね。

なんか俺はそこまで自覚してないんだけど、まほプリへの溢れる感情をツイートしまくってたら、結構な数のフォロワーがプリキュアシリーズに興味を持ってくれたみたいなんですよね…1作品で4クールもあるわけでわりと大変なんで、頭が上がらないです…。

自分で言うのもなんですけど、俺ってその…かなりアレな人間だと思ってて…そんな人間と付き合ってくれるだけでも、すごい奇跡的だと思ってて…こんな俺ですけど、これからも無理のない範囲でよろしくお願いいたします。

 

ちなみにトロプリ感謝祭もフォロワーの方々と観に行ったんですが、なんとフォロワーが当てた席(夜公演)ほぼ最前列のド真ん中という最強すぎる場所だったんですよ…。おかげで、吉武さんをはじめとした歌手陣やキャスト陣のとびっきりの笑顔を肉眼で見ることができて本当に…本当に素晴らしかった…。しかも、ファイルーズあいとかの豪華キャスト陣が10mぐらい先にいるんですよ…?ヤバくない???????

こんな席ということもあり、俺がどれだけ感謝祭で死体になったか、これで大げさとかじゃなくてわかってもらえたと思います。

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めっっっっっっっっちゃ長くなりましたが(いつも通り)、一旦これで総括を終えたということで…。苦しみからも解放されて、晴れ晴れとしてるかもしれない。

 

トロプリという作品、ラメール変身直前の回のみのりが触れた「代償」の話が、それ以降は登場人物の口からあまり言及されなかったり、ローラのラメールへの変身の感情の流れが結構解釈難しかったり、細かい気になる点はわりといくらでも挙げられるレベルで多かったりするのだが、話が進むにつれてそんなことはハッキリ言って些細な問題となるぐらいのパワーがあったので、本当に『魔法つかいプリキュア!』以来の良い意味でも悪い意味(?)でも心に残る作品だった。もうそういうポジションなんです、トロプリ…。

 

トロプリありがとう、スタッフの方々ありがとう、フォロワーありがとう…。やっぱ「感謝祭」っていう名前しかないですよね…。

 

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▲トロプリ各話の感想、吐いてるので検索結果からどうぞ(いる?)
一応検索外でも色々ツイートしてるのだが、追う方法がわからないから誰かまとめてくれないかな…。

 

(16309字)


*1:過去シリーズの担当回があまりにも特徴的すぎる。

*2:もちろん物凄く良い作品だったし、ヒープリがトップクラスに好きだというのは変わらない

*3:と言ってもプリアラ映画は、しっかり見ると基盤がしっかりしてる上で、あの作風なので勝手な期待ではあっただろう。

*4:今思えば、人魚というだけではなく女王を目指すローラにとって、仲間との日常は最終話まで二者択一の存在だったのだろう。

*5:仮面ライダー電王』のヒロイン役ではないし、ダークプリキュアでもない…!

*6:北川理恵さんは不参加でとても寂しいのだが、Twitterで感謝祭を応援していたので、少なくとも前向きな事情だと思う。

*7:ハトキャ組が抜けたエンディング主題歌ver

*8:トロプリという作品の特性、キャラクターショーで展開されるお話のテーマ、事故後の戦闘シーンでのパパイアの「練習が足りなかった」という台詞から「もしかしてこれ事故じゃなくて演出だったりする…?」とかは30%ぐらい思ったりはした。いやそんなわけないんだろうけど、思っちゃったは思っちゃった…。

*9:興奮で記憶が朧げなので独自解釈です。