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【魔法つかいプリキュア!】はーちゃんキャラソン『そらいろ』の「きみ」「マイディア」とは誰の事なのか

※本記事には『魔法つかいプリキュア!』の根幹に関わるネタバレが含まれているので、まだ作品を見ていない方は今すぐNetflixでも配信されている(2020年現在)魔法つかいプリキュア!』を全話通して見て下さい(懇願)

https://szkhaven.com/2020/04/07/mahopuri_saikou/
(オススメ布教用記事)

www.netflix.com

 

 

あぁ…『魔法つかいプリキュア!』…今現在、猛烈に俺が熱くなっている作品だ。

本放送、再放送の時も"まほプリ熱"が再燃したが、俺の地域では再放送など行われていないにも関わらず今回の再燃は以前にも増している。

 

というわけで、今は『魔法つかいプリキュア!』のキャラソンやサントラCDなどを一気にレンタルしてゆっくり噛み締めたりしている。

それっぽい歌詞を並べて雰囲気で表現されているような物ではなく、『魔法つかいプリキュア!』の楽曲はどれもしっかり本編の設定やキャラクターの想いと補完されてて大変…大変尊い…。本編が愛に溢れている作品はたくさんあるが、こういったキャラソンのような派生作品は大型タイトルになればなるほど、制作している人員も変わってくるため(分業)、いわゆる「解釈違い」を起こしやすかったり、あるいは無難にしすぎて薄味になってしまう事が多いように思える。

対して『魔法つかいプリキュア!』のキャラソンは本編のスタッフが直接作ったんじゃないかというぐらいに、そこら辺が大事にされている。TV本編とは別スタッフが製作したキュアモフルンの映画もそうだけど、しっかり作品のテーマや伝えたい事がベースとして共有されているんでしょうね、きっと。だからこそ俺達は心地よく沼にズブズブ浸かれるわけですよ。

 

 

 

www.youtube.com

 

さて、本題。そんな中、どうしても歌詞の解釈に頭を悩ませる楽曲…キャラソンとぶち当たってしまった。『魔法つかいプリキュア!』作中におけるキーキャラクター、そしてキュアフェリーチェに変身するはーちゃんこと花海ことはが歌う『そらいろ』という楽曲だ。

まほプリファン間でも有名な『オレンジア』といった名曲も含まれた『魔法つかいプリキュア! ドラマ&キャラクターソングアルバム ドリーム☆アーチ』に収録されている。それまでのまほプリ関連楽曲を厳選した『魔法つかいプリキュア ボーカルベストアルバム 手のひらのおくりもの』にも収録されているので、聴きたい人はどちらでも良いぞ!

 

はーちゃんのあまりにも優しすぎる歌声が癒やしってレベルじゃない。もう一つ存在するはーちゃんのキャラソン『キラキラしちゃえ!』は元気いっぱいの楽曲だが、それとは対照的にしっとり落ち着いた楽曲だ。両親となるみらいとリコ、それぞれの性格をDNA単位で遺伝したはーちゃん(ほぼ公式設定)だからこそ広がっている表現の幅。これらを完璧に歌い上げている早見沙織ことはやみん(声優)には頭が上がらない。

 

そう、完璧だからこそ当然歌詞への解釈にも完璧が求められる。求めたい。

 

 

「キャラクターソング」略してキャラソン…は種別は色々あるが、一般的にはそのキャラクターの心情を表現した歌詞になっている事が多い。『魔法つかいプリキュア!』のキャラソンもその例に漏れないが、まほプリ本編の特徴として他者との「繋がり」「交流」を重点としている事にある。そのため、まほプリのキャラソン(特にメインとなるみらいとリコ)は、それに合わせたのか他者への想いを自分の言葉で歌った物がかなり多い。

みらいの『夢までふたり乗り♪』はどう聴いてもリコへの想いを表現してるし、リコの『憧れは魔法にのせて』『オレンジア』も同じようにみらいへの想いを大きく表現した楽曲だ。もちろん中には『はなまるの方程式』のように他者の存在があまり出てこない一般的なイメージに近いキャラソンも存在するが。

どの楽曲もそのキャラクター視点に立てば、非常に納得が行くし、滅茶苦茶エモい物ばかりだ。みらいとリコの関係性なんて、本編を見れば言うまでもないので、それがキャラソンに落とし込まれているのも全く不自然ではない。

 

さて、はーちゃんが歌う『そらいろ』はどうだろうか?歌詞を見てみよう。

petitlyrics.com

 

………?????

 

俺は悩んだ…何かが違う…これがはーちゃんのキャラソン…?

いや、はーちゃんは良い子だ。確かにはーちゃんが普通に歌ってそうな楽曲だ、曲の雰囲気とか。いやしかし、これは本当にはーちゃんの心情を表現しているのか?

 

大好きなこと 言葉で
伝えたいだけなのに

©ABC・東映アニメーション

 誰に?

 

結びつづける/叶えつづけよう きみとの約束

©ABC・東映アニメーション

きみのやさしい言葉が
勇気をくれるから
届けたいの きみにありがとう

©ABC・東映アニメーション

 「きみ」って誰?「約束」って何の事?

 

お月さま にじむ日は
涙をはんぶんこしようよ

©ABC・東映アニメーション

なにも言わないで
そっと頬寄せあおうよ

©ABC・東映アニメーション

 誰と…?

 

ずっとずっとそばにいるよ
マイ・ディア

©ABC・東映アニメーション

 いや「マイ・ディア」って誰!?男か!?

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…いやね、これが適当にそれっぽいワードを並べたキャラソンとかだったら気にしないんですけどね。『魔法つかいプリキュア!』のキャラソンなんですね、これは。「脚本の人そこまで考えてないと思うよ」案件じゃないと思うんですよ。歌詞には間違いなく意味のある解釈というか色々込められてるはず…他のキャラソンと同様に。

 

魔法つかいプリキュア!』本編を見た方なら多分、同じ違和感を抱いてくれるのではないかと思う。

仮にこれは…はーちゃんがみらいとリコへの想いを表現した歌詞であれば、はーちゃん自身の気持ちに矛盾はないし自然だろう。しかし「きみ」は単数形だし、「はんぶんこ」は三人では成立しない。状況的には、どうしても歌詞に登場する登場人物として、はーちゃん及び「きみ」「マイ・ディア」に値する謎の人物、計二人が設定されているようにしか見えないのだ。

まさか、はーちゃんがみらいとリコどちらかを無視して歌うわけがない。それは絶対にあってはならない。仮に想いをぶつけるなら、はーちゃんは両親とも対象にするはず。ていうかモフルンもいるので、3人じゃなくて4人になる。

 

さて、「マイ・ディア」…英語にすると「my dear」なので、恐らく同じ人物を指す「きみ」とは、はーちゃんにとっての「親愛なる君」ですよね…?かなりの重要人物のはずだが、はて…はーちゃんにとって単独のキャラソンで歌い上げるほど関係値が深いキャラクターが他にいただろうか…?

そう、これが俺が一番悩んでる事項なのだ…。

 

作中で、はーちゃんとの交流が深くあったキャラクター…俺がパッと思いついたのは、サッカー回でメイン回があったクラスメイトの壮太だろうか。でも、はーちゃんが壮太に「いつだってそばにいるよ」…?いや、違うよな…。それを成立させるにはあまりにもはーちゃん→壮太サイドの描写が少ない。49話ではーちゃんがいなくなった後も壮太の心情は語られていない。

 

じゃあ他に誰だ?モフルンはどうだろうか。モフルンとはーちゃんの関係値は言うまでもなく深い。みらい・リコと同様にはーちゃんをずっと世話してきたキャラクターだ。違和感はかなり減るのは間違いない。

いや、しかし…はーちゃんとモフルンの関係は確かに深いが、この歌詞のような関係性かと言われると、個人的にはかなり微妙になってくる。「いつだってそばにいる」は、むしろどちらかというとモフルン側の心情だよな…。それにモフルンが涙を流すイメージはあまりない…。

それに仮にモフルンだとしたら、もうちょっと歌詞にモフルンだと断定できるフレーズを散りばめるのが普通だ。リコが『オレンジア』で、みらいを「オレンジアの君」と表現するように。

 

…じゃあ、「きみ」は誰なんだ!?

お前は誰だ!?俺の中の俺~♪

 

発想を変えてみよう

『そらいろ』の歌詞、これさ…はーちゃんじゃなくて、みらい・リコの心情を表現してるなら、なんというか結構ピッタリだよね~。「きみとの約束」とか49話で、みらいとリコが別れる時のを思い出すじゃん~…。

 

………ん?待てよ…?みらリコの心情…?それをはーちゃんが歌っている…?あれっ…?

つまり…そういう事では…?

 

まずは本編49話で起きた出来事…前提をまとめてみよう。

デウスマストの「混沌」によって、マホウ界とナシマホウ界は一つの世界に混じってしまう。元の日常に戻るため、MAHOガールズ達はデウスマストを撃破。

②「マザー・ラパーパの力を受け継ぎし者」であるはーちゃんは、混ざってしまった世界を元の状態にするため概念となる。その「世界の分離」は二つの世界がお互い行き来できなくなってしまう影響が出てしまう。唯一、はーちゃんだけは概念なので二つの世界を遠くからだとしても干渉する事が可能。

どこからでもみんなのこと見ていられるから…わたしはみんなとずーっと一緒。つながってるよ。

-花海ことは ©ABC・東映アニメーション

③ナシマホウ界出身のみらい(とモフルン)、マホウ界出身のリコはそれぞれの世界に戻り、お互い会えなくなる。別れの前に3人(とモフルン)でまた会えるようにリコは「約束」の魔法をかける。

キュアップ・ラパパ!私達は必ず…絶対また会える!

-十六夜リコ ©ABC・東映アニメーション

 

魔法つかいプリキュア!』を見た方々なら、当然のように記憶している第49話のエピソードですね。

付け加えるのであれば、『魔法つかいプリキュア!』における「魔法」は作品テーマと合わさり以下の大原則がある(超重要)

願いを言葉に、言葉は魔法に、魔法は奇跡を呼ぶ。

-校長 ©ABC・東映アニメーション

 

「願い」とは「○○したい思い」「○○して欲しい思い」、つまり49話で言うなら「また会いたい」「約束」という形で「願い」を表現しているのです。それを「言葉」にしたのが「キュアップ・ラパパ」の呪文、魔法。

そして、はーちゃんの二つの世界を元に戻す尽力、(恐らく)二つの世界を再び結ぶためのリコの努力、十六夜にみらいが必死に叫んだ「言葉」、それらによって別れの5年後に「奇跡」が起きたのは皆さん知ることのはず。

素直な言葉は力になる。思いが繋がっていればそれは…奇跡を起こすのよ。

-結希かの子(みらい祖母) ©ABC・東映アニメーション

 

『そらいろ』の歌詞に戻ろう。

俺はこの歌詞を、全てがはーちゃんの心情ではなく、49話で離れ離れになったみらいとリコの「5年間」の心情を表現した物だと解釈した。

「はーちゃんのキャラソンでしょ?何故?」と思われるのはごもっともだが、ちょっと聞いて欲しい。

 

星の夜も まぶしい朝も
結びつづける きみとの約束

©ABC・東映アニメーション

「星の夜」とは「十六夜リコ」、「まぶしい朝」は「朝日奈みらい」の比喩と感じ取れる。「約束」は言うまでもない、別れる前にかけた「魔法」だ。

 

大好きなこと 言葉で
伝えたいだけなのに

©ABC・東映アニメーション

届けたいの きみにありがとう

©ABC・東映アニメーション

みらいとリコがお互い、大好きなこと、そして感謝を伝えたいだけなのに、世界が別れてしまっているので、それができないという悲しさを表現しているように感じないだろうか? 

そもそも感謝の言葉を届けられる状況なら「届けたいの」とは表現しないはず。願望が含まれているからだ。

 

長くなるので割愛するが、他の歌詞、特に俺が問題としている「きみ」「マイ・ディア」が含まれる部分は、みらいとリコ視点と考えると自然なように受け取れてしまうのだ。

とにかく言いたいのは、『そらいろ』の歌詞はほとんどが、離れ離れになり言葉を伝えられないみらいとリコがお互いを想って表現した物なのではないかという事。

「きみ」「マイ・ディア」が誰なのか問題は、もうそりゃ、親愛なる人、君、を表すのは、みらいにとっての「リコ」、リコにとっての「みらい」と解釈するしかない。

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さて、やはり気になるのは何故それをはーちゃんが歌っているのか、という部分。ここで、49話の4人が別れる前のはーちゃんの前提となる台詞を思い出してみよう。

どこからでもみんなのこと見ていられるから…わたしはみんなとずーっと一緒。つながってるよ。

©ABC・東映アニメーション

 

そう、はーちゃんは概念になった後でも、二つの世界それぞれにいるみらいとリコを観測する事ができる…と示唆している。つまり、みらいとリコのお互い言葉が伝わらないという悲しさや、お互いを想う心情を、はーちゃんだけは片道で受け止められる状況にある。

 

お月さま にじむ日は
涙をはんぶんこしようよ

©ABC・東映アニメーション

例えばこの歌詞。

魔法つかいプリキュア!』作中の「お月さまの日」とは、第1話でも第49話でも強調されている「十六夜」の事。これは妄想の域を出ないが、お互い会えない5年間、みらいとリコはお互いを想って十六夜の日の月に涙を流していたのだろう。

そして、はーちゃんは二人に対し「涙をはんぶんこにしようよ」と問いかけているように感じないだろうか。

 

つまり、俺は『そらいろ』の歌詞をこう解釈する。

この楽曲は、離れ離れになったみらいとリコの心情などを、概念となったはーちゃんが自分の心情も交えて歌い上げた物だと。

 

離れ離れでも、言葉が今は伝わらなくても、はーちゃんはみらい・リコの言葉や想いを受け取れる。はーちゃんは、ずっとみらい・リコを視ている。そして、いつか二つの世界は再び結ばれると、はーちゃん視点でも信じている。

だから、はーちゃんがいる限りは、実質みらいとリコもお互い「そばにいるよ」という事なのである。はーちゃんを通して、みらいとリコは繋がり続けている、という事を表現したかったのではないだろうか。

 

叶えつづけよう きみとの約束

©ABC・東映アニメーション

リコがかけた「魔法」は、離れ離れでもはーちゃんが自身を通して叶えつづけてるよ、という表現?

 

もちろん、一方的にはみらい・リコを観測できるとはいえ、はーちゃんだって二人とモフルンに直接会いたいはずである。リコがかけた「魔法」は何もみらいに対してだけではなく、はーちゃんとモフルンも含まれるはずだ。

その寂しさを表現したのが「こっちをむいて」。そして「マイ・ディア」は、"みらい←→リコ"だけではなく、"はーちゃん→みんな"への言葉でもあるのだ。

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『そらいろ』まとめ(俺の解釈)

・概念となったはーちゃん視点で、離れ離れになったみらいとリコの心情を歌い上げている。

・物理的に離れ離れでも「私がいるから、ずっとそばにいるよ」

・もちろん「はーちゃんもずっとそばにいるよ」

・はーちゃんはマジで良い子。しかもかわいい。

 

…とまぁ、一つの楽曲に対し随分長くなってしまったが『そらいろ』に対して抱えるモヤモヤを解決するために、頑張って自分なりにこう解釈してみた。少なくともこれで自分は納得が行ってる。そう、実際に妄想が合ってるかどうかはどうでも良くて、自分が納得行けば良いんですよ、こういうの。

でも我ながら、かなりエモい解釈だと思いませんかこれ?

魔法つかいプリキュア!』の楽曲はどれも時系列的には49話より前で、MAHOガールズが離れ離れになった「空白の5年間」について歌い上げた楽曲はないはずなんですね。でも『そらいろ』は、もしかしたら遠回しにそれを歌い上げた物なのかもしれない。

 

遠回し…そう、気になっちゃうのはなんでこんな複雑なキャラソンになっているのかもしれないというところなんですけど、先日キュアモフルンの映画がYouTubeで無料公開された時に、田中裕太監督がTwitterで「キュアモフルン同時再生企画」してたんですね。その時にこんな裏話をツイートしてたんです。

 

『ふたつのねがい』とはキュアモフルンの映画で、離れ離れになったみらいとモフルンが同じ流星群を見上げるシーンで流れる挿入歌。

歌詞を見てみよう。

petitlyrics.com

 

…どうですかね?この復活を遂げた没曲がまさしく『そらいろ』なのではないかという考察が一部で存在する。

言われてみれば、離れ離れになったけど同じ物(者)を通して繋がっているというシチュエーションが同じ。さらに離れ離れになった事で、言葉を伝えられないという歌詞もほぼ一緒のように見受けられる。

 

仮に『ふたつのねがい』で没になったテイクが『そらいろ』だとしたら、「みらい←→モフルン」を歌う楽曲を、はーちゃんのキャラソンに書き直した際に、結構無理して擦り合わせたと考える事もできるんじゃないだろうか。結果、上述したはーちゃん視点のみらリコソングという特殊な解釈に…。いや真相は闇の中ですがね…。

 

というわけで、おわり!

まさか一つの楽曲でここまで書けるとは俺も思わなかった…。というか、歌詞に対し、ここまで考察する事が全くの初体験。一体何が俺をここまで駆り立てたのか…。やっぱ人生を捧げるぐらいに愛してる作品なので、納得の行かない事があるとあれやこれやで解釈しようとする悪いオタクの性が出てしまったんですかねえ…。

いや~『魔法つかいプリキュア!』って奥が深いボルね~…。

 

どうでも良いかもしれないが、この記事を書き上げるためにモフルンの映画とかちょっと見直したり、本編49話のあらすじを見直したら、涙がボロボロ止まらなくなってしまった。本当に…俺の心も人生も滅茶苦茶にしてくれた作品だよ…コイツは…。

 

皆さんの『そらいろ』の解釈、ちょっと聞いてみたいですね。みんなもこの記事拡散して、是非聞かせてくれ。

 

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