まぎかる゜火葬場

著作権/漫画/アニメ/ゲーム/映画や思った事を焼いて封印する場所

映画『アイの歌声を聴かせて』ベタ貼り感想(と今後のブログの方針もどき)

どうも、こちらではお久しぶりです。

色々な作品の感想を真面目に書いて、真面目にまとめて、それを残す。半分はそれが目的で始めて維持している当ブログですが、ブログを開始した当初と違ってあまりもの多忙により、中々好きな作品や感情を動かされた作品の感想を上手く良い感じに言語化できずにいる状態です。間違いなく強いのに燻る熱と消化不良、こんな悲しいことがあるか。

 

f:id:koichil:20211126164450j:plain

▲全て燻っている「熱」、陽の目を浴びる時は来るのだろうか…。

 

学生を卒業し、週4~5で働くようになると、こんなにも何もできなくなるのか…と嘆くばかり。俺からのアドバイスですが、今まだ学生の人達は本当に悔いのないように目一杯遊んでください…もちろん自分や他者に迷惑をかけない範囲で。

 

というわけで、今後はTwitterで適当に殴り書きした作品の感想をほぼそのまま記事にベタ貼りする…というテストを始めたいと思います。

作品見た後で一番感想が書けるのって、やっぱり鑑賞直後であって、家に帰ってなけなしの落ち着いた時間だけで出来るものじゃないんですよね。

なので、Twitterとかfusetterにとりあえず所感みたいな感じで、帰りの電車とかで簡単な感想をババッ~と先に書いちゃうわけですが、ぶっちゃけもうそれで良いよね。

 

で、Twitterやfusetterの問題点としては、流動性があまりにも高く、感想を後から遡りにくいという点。アクセス性の弱さも気になり、そもそもそれが嫌で、アーカイブする意味も込めて今までちゃんとブログ記事として書いてたわけですよ。

これはTwitterで勢いで書いた感想をベタ貼りして残す形にしても解決できるポイントではあるので、ちゃちゃっと短く補足だけして記事として出すのも良いなと感じた次第です。

 

というわけで、ほぼ校閲もしてないし、読む人のことも考えていないお見苦しい感想になってるとは思いますが、どうぞご理解いただければと思います。

貼った後にやっぱ思うけど、Twitterのツイート用に書いたのに、そのサービスを介さないで表現された文章、恥ずかしさがより増大してるんだよなこれ…。

スポンサーリンク

 

 

感想本文(やっと!)

あ、ここは補足の文章です。

というわけで、上映開始から1ヶ月経ち、劇場も上映本数もクッソ少なくなってしまった映画『アイの歌声を聴かせて』を朝イチで観に行きました。眠い…けど行ける映画館では朝しかやってないもん…。

 

オリジナルのアニメ映画ということで当然俺にとっての取っ掛かりがあるような作品でもなく、当初は存在すら知らなかったスルー対象の作品だったが、SNS上の口コミでは中々良い感じの評判が流れてくる。

何よりAI題材の作品と言えば直近では『仮面ライダーゼロワン』が記憶に新しい(何よりなのか?)

素材や序盤の展開は良いものの、コロナ禍による撮影への影響、子供達へ重点的に訴求を行っていく必要のある製作構造、4クールという決して短くはないシリーズ構成のそもそもの難易度といったあらゆる壁が混ざり合い、中盤からは終盤にかけて何ともまぁ難しい作品になってしまったゼロワン…。

 

このままではゼロワンの感想になるので話を戻すとして、そのゼロワンと本映画が似ているという「ネタ」が一部の悪いライダーオタクの間で話題になっており、それはそうと作品自体の評判は良いので、気になって観に行った。動機が不純…。

 

で、以下が感想です。Twitterに殴り書きしたヤツ。

一応、核心には触れないけど、全体としてどんな感じの作品なのかは書いてるので、気になった人はブラウザバック(これもしかして死語?)して今すぐ劇場に観に行ってください。

 

(元ツイート)

 

-----------------

『#アイの歌声を聴かせて』
AIを取り扱った作品は色々な方向性があるわけで、一概に「これが一番!」とは言えないのは重々承知で、もし愛の定義が人に寄り添って幸せにすることで、それを目的にしたAIなのであれば、その方向性においてこれ以上の作品は今後出てこないだろう、と言える程の作品だった。

 

見てない人にはギリギリわからないぐらいの温度感で感想を書く。

作劇方面から評価するのであれば、前半部分はあまりにも、理屈上で作られてるはずなのにそれにしては中途半端に理屈的ではない言動を繰り返すAIを中心に、キャラクター達の人物像と矛盾もする「謎」がひたすら続き、観る人によってはそれだけで拒否反応を示してしまう同じく理屈的ではない不自然な「ミュージカル要素」も多く、フラストレーションが溜まる構成になっている。

正直言って「この映画、大丈夫か…?」と鑑賞中は不安が募るばかりだった。

 

なんかキャラとか舞台も細田守とか新海誠とかあの辺りの作品をめちゃくちゃ意識してそうだな…みたいな既視感もあり、最近のオリジナル邦画アニメーションにありがちなテンプレ的なアレだと「うんうーん…」となってしまいそうだな…みたいな。

 

しかし、その全ての疑問が終盤の真相が解明されるシーンで高度で迫力のある演出と共に一気に解けていく、あのカタルシスがこれまためちゃくちゃに気持ちいい…。ここまで前半と後半で俺のテンションに差がある作品もない…。文字通りのフラストレーションからの解放だったわけで、一気に好きになってしまった。

 

で、自己を獲得するAIという題材はどうしてもファンタジーになりがちだが、その描き方も真摯。シンギュラリティに行きすぎない形で出来る人格再現だったと思うんだよね、この映画のAI。
AIの行動原理としての命令が人を幸せにするということだけなので、作中の言動は全てその範囲に収められている。この点が「もうそれ人間…」としか言いようがない同じようなテーマの他作品と違うところだった。

 

さらに好きだったのが、あくまでAI単体で人を幸せにする描写は徹底して描かれなかった点。
必ず、まず人間の他者が他者に寄り添うことを前提とし、AIがそのサポートをするという形になってて、この不完全さはシンギュラリティ超えてないんだけど、むしろ完全ではない人間を再現できているとも言える。

 

この人間である他者がまず他者に寄り添おうとする、愛を伝えようとする、幸せを届けようとするというのが重要で、作中のAIの起源もそこから開始していて、それが長い時を経て現代のキャラ達に返ってくるという構成がお見事。
人々から影響を受けるAI、AIから影響を受ける人々、その応酬がしっかりしていた。

 

愛や幸せって物凄く抽象的でフワフワしてる要素だと思うんですよ。だからよっぽど感傷的な人相手じゃないと、作品が鑑賞者の心を動かせるとは思えないんですよね。

この作品は、理屈的に作られたAIと理屈で動かされがちな大人、感情的にAIと接する子供達との関係性と、上述した理屈的ではない前半、全ての感情が理屈として一本の線になる後半のドラマと、掛け合わせが高度だった。

 

最後には理屈に一度押し潰された大人も救われる。ネタにされてる「お前は我が社の製品なんだぞ!」も、発言者の中の理屈と感情がぶつかり合ってる良い台詞なんだよな(ゼロワン思い出して笑っちゃったけど)((ゼロワンにこんな台詞ありません(そこも含めてネタになってた)))

 

同時にこの作品は、理屈を突き詰めすぎて先進国なはずなのに後退的な日本を揶揄してる意図もちょっとは感じられましたね。技術の発展により幸せになった子供達、大人視点ではその先が引き起こす危険性もAI題材作品らしく取り扱ってて、前者に寄った作風ではあるので、観る人によってはモヤるかも。

 

理屈的なAIという存在を作っているのは理屈を捨てきれない人間であり、関連して生じる感情は、AIの形がただのプログラムだろうかロボットだろうがアンドロイドだろうが何を取っても発生し得るものなので、結局のところ、人間だろうが物だろうがペットだろうが善性をもって付き合うべき、ということか。

 

この作品は、その点の人間と人間同士の感情の応酬をAI(物)を仲介にしてるという構造なので、AIに間違った命令をすれば自然に人間同士も不和が起きる。そこも本当に突き詰めてて真摯なんですよね。

とにかく良い作品だったので、見て欲しい…(こんな長文読んでる時点で既に観た人ばかりだろうが…)

 

今更だけど、『アイの歌声を聴かせて』ってタイトル良すぎ。
AIとアイ(AIの名前)をかけてるとかありがちなヤツかと思ったら、別にAIの名前はアイじゃないし、作品を見ればその「歌声を聴かせて」の意味に物凄く文脈が乗っている。

関係ないけど、柔道の子は愛という名の呪いを背負ってしまったね…。

-----------------

 

「関係ないけど、柔道の子は愛という名の呪いを背負ってしまったね…。」

↑記事の体制だとこれで締めるのこっ恥ずかしいな!!!???!!!

 

関係ないですが(本当に関係ないはずなんだけど…)、わりとこじつけじゃないレベルでゼロワンでしたね、この映画…。デイブレイクタウン人工衛星…ヒューマギア…。

と、同時にゼロワンが本当に真摯にAIと人間の関係性というテーマを真摯にやろうとしてたんだな、という解像度の高まりで後から評価が上がるという謎の現象が起きるので、『仮面ライダーゼロワン』を見たことある人も見たことない人もとにかく早く観に行ってください!多分そろそろ終わるよ!