まぎかる゜火葬場

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感想『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』 やっと時代を乗り越えられた…

恒例の劇場版仮面ライダーシリーズ。その節目は平成ライダー最終作にして令和最初のライダー映画『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』で一度終わりを迎えた。

 

今作は令和としては二番目のライダー映画となる。『仮面ライダーキバ』以降の平成ライダーでは恒例となった、現行ライダーとその年の先輩ライダーが世界観を共有し共演する物語を紡ぐ冬映画。どうやら令和に突入してからもそのフォーマットは続けていくつもりらしい。

 

 

令和の1号ライダー・ゼロワンの先輩ライダーはもちろん平成最後の平成ライダー・ジオウという事で、両作品がクロスオーバーした本作、楽しみに待っていたぞ。

 

仮面ライダーシリーズ」、特に『仮面ライダークウガ』から始まる作品群を『仮面ライダージオウ』にて統括的に語る上でやはり欠かせないのは「元号」である。

『平成仮面ライダー20作記念 仮面ライダー平成ジェネレーションズ FOREVER』及び『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』が平成という元号そしてそれを生きてきた平成ライダーを締め括るにふさわしい作品であるのであれば、今作は令和という元号ひいては令和ライダーの始まりという非常に重要な位置付けの作品となる。

 

なので、作品に対して求められる物は非常に大きい。今作はそれにしっかり応えてくれた作品だと俺は思う。実質、令和ライダーとしては最初の映画となる今作の立ち位置としては申し分ない。

 

両ライダーに課さられた「時代/原点を乗り越える」という軸

やはり映画全編を通して特徴的な部分だったと思う。これを軸に物語は進んでいく。

ジオウには「仮面ライダーにおける原点にして頂点」のアナザー1号が立ち塞がり、ゼロワンにも同じく「ゼロワンの原点にして頂点」とも言える仮面ライダー1型(めっちゃかっこいい)が立ち塞がるのだが…。

 

 ジオウ側で言えば、平成ライダーの力を吸われアナザー1号に立ち向かう際に放った「ライダーに原点も頂点もない」という言葉が、ジオウ本編で一人一人のライダーの生き様を見てきたソウゴを思えばとても熱く感じさせる。確かに先輩達を見てきたソウゴにとって平成ライダー全員は平等に映る物であり、そこに「クウガや初代が至高」という考えは入る余地がないのだ。

「平成」という元号を文字通り背負ったジオウは、同じく「令和」をこれから背負うゼロワンと共に「昭和」を歪に背負ったアナザー1号を倒す事で、真の意味で元号という時代の区切りを乗り越える事に成功したのかもしれない。

 

ジオウの「ライダーに原点も頂点もない」という言葉はゼロワン側で展開される物語でも大きく展開されている。

ゼロワンは歴史改変の影響により本編における社長の立場ではなくなってしまう。さらに「ゼロワン」を作ったのは父親のヒューマギア・其雄であり、それより前に其雄は「1型」に変身していた事が発覚する。つまり「ゼロワン」の世界における「1号ライダー」=最初の令和ライダーはゼロワンではなく1型という図式が作中で提示されるのだ。

 

最終的にゼロワンの或人はその熱い思いで洗脳されてるヒューマギアからも支持を得る事に成功し、真の意味で社長の座を認められかけるが其雄はそれに反対。対峙する其雄(1型)を倒してようやく「ゼロワンの原点」である父親を乗り越える…という筋書きなのだが、ここでは其雄が或人を息子としてではなく一人の社長としてふさわしい一人の人間として見送るシーンが存在する。

まさにジオウであるソウゴが原点や頂点とか関係なくアナザー1号を乗り越えたのと同様に、或人も本当の1号ライダーである父親を乗り越え真の意味で「令和1号ライダー」となったのだ。

ジオウにおける元号というメタな概念を直接持ち出さず、ゼロワン作中の要素だけでここまで持って行ってるのが美しいと感じた。その証拠に「令和」というワードが作中では一度も登場していない。でもゼロワンは今作で「令和1号ライダー」になったのだ。それをゼロワン内で「新時代(=ヒューマギアと共に笑い合う社会)の1号ライダー」という表現だけを使って表現したのは唸らざるを得ない。

 

また、ジオウは本編でほぼ全てが完結しているので、先輩ライダーが後輩ライダーに説得力のある言葉を投げかける場面があった、冬映画恒例である。

「過ぎ去った過去は変えられないけど、生き抜く未来は変える事ができる」という言葉は、(勘違いだったが)人類滅亡の道を作った父親に対する失意を抱えた或人を前に向かせる事に成功したと言えるだろう。

 

ゼロワンが真のゼロワンになり、令和の1号ライダーとしてその存在を確立するという本作はまさに令和最初のライダー映画として十分にふさわしいと言える。まだ平成を引きずっているファン達も「ようやく平成を乗り越えて令和が始まった」と納得した事であろう。

 

明かされる「アーク」の正体

ゼロワン本編の敵対するヒューマギア達が散々発する「アークの意志のままに」という謎の言葉。わりと重要そうな設定が本作で開示された。

「アーク」の正体はゼロワンの変身とも直結している衛星「ゼア」と対になるもう一つの衛星であり、何者かがこれにヒューマギアが人間に敵意を向けるようにハッキングを施したらしい。

 

本来の歴史も改変された歴史もここは変わらない。この後映画ではタイムジャッカーが介入した事により、この衛星アークの打ち上げが成功してしまい、全世界のヒューマギアが暴走。たちまちヒューマギアが支配する世界になってしまう。

 

という事は、本来の歴史(ゼロワン本編)の衛星アークは打ち上げに失敗したのだろうか。映画作中では結局打ち上げによる歴史改変は阻止できなかったのでそこら辺は実は描写されてなかった。

だとしたら、TV本編でたまに映る瓦礫に埋もれた発光物体こそがアークで打ち上げに失敗した衛星なのだろう。デイブレイク後は限定的な範囲でハッキング能力が生きており、作中のヒューマギアの暴走にも繋がってる…という事か。

 

本作は映画なので本編とは独立した物語なのではあるが、さらっと超重要設定が出てきたので油断ならない。その内本編でも描写されるのかなー。

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戦闘シーンや敵キャラ

今作、鎧武の映画かよってレベルで銃撃戦が目立っていた印象。監督好きなのかなそういうの…。

ライダー達も中々変身せず、生身の銃撃戦をとにかくしていた。ここが結構長くて前半のテンポは悪かったなーとかは思ってしまったかもしれない。

でも今思い返せば、主人公達が仮面ライダーに変身する事に意味を持たせている作品なので、その溜めのつもりなのかなぁ、とか思った。杞憂かもしれんけど。

 

その他、デザイン的な事で言えばやはりアナザー1号。下半身がバイクというのもすごいのだが(メタ的にいつ転ぶのかとかヒヤヒヤしてた)ゲイツのタイムマジーンを取り込んで下半身がバイクから蜘蛛型に変形する。

これってもしかして初代仮面ライダー第1話に登場する敵がクモ怪人な事に由来してるのかな?アナザーライダーはその作品の敵キャラの意匠を取り込む事も多いので、だとしたら納得ではある。

 

仮面ライダーが本来怪人として生み出された(=敵と同じ力を使っている)というのはシリーズファンには最早説明不要だが、これはゼロワンも同様でありヒューマギアが敵になる事もあれば人間の生活を支えるパートナーとしても活躍している。

或人の「人間とヒューマギアが一緒に笑い合う未来を作りたい」は、ある意味敵との共存を実現しようとしているという事。アナザー1号も主張する「仮面ライダーは本来悪の存在として生み出された」へのカウンターとも取れる発言と思いであると捉えられるのかもしれない。

 

気になった点

もちろん本編で恐らく触れるつもりかもで映画で消化するべきではないのかもしれないが、ヒューマギアであるウィルの「ヒューマギアへの賃金といった対価はないのか」という要望に対しるアンサーが今回はなかった。是之助社長のヒューマギアと支え合う社会を作るという思いは恐らく本物なのだろうが、ここの反応がぼかされてたのが大分不穏だと思った。

現に事件の発端はヒューマギアの人権に近い何かを無視したからであって、映画の中でそこへの答えがなかったのはモヤる。こればかりは或人の「人間とヒューマギアが一緒に笑い合う未来を作りたい」を信じて本編でのアンサーを待つしかないだろう。

幸い、本作の脚本である高橋悠也は『仮面ライダーエグゼイド』本編で医学に対し真摯なアプローチを施してきた。きっとゼロワンにおけるAIへの付き合い方も同様のアンサーを出してくれるであろう。

 

気になった点というか不満点だが、レジェンドの出演とかがなかったのは残念だったかもしれない。アナザー1号も出るしタイトルに「ザ・ファースト」と付いてるので、『仮面ライダー THE FIRST』の1号とかが出てくれればなぁ…という感じ。

でもあくまでジオウのアプローチでゼロワンの過去を紐解くシナリオなので、絡めるのは実際難易度高いのかもしれない。それに「THE FIRST」も「THE NEXT」も一応ファイナルステージにゲスト出演はしてくれたので、俺にとってはそれで十分ではある。

 

最後のジオウとゼロワンが拳をぶつけ合うシーンもちょっと困惑してしまった。でもアレって過去を築き上げたジオウと、時代をこれから築き上げるゼロワンが交じる事で「新しい時代」を作るって事なのかなー。自分だけでは気づけなかった視点だ。

 

他気になった点…やっぱタイムジャッカーの服の裾長すぎる事だよな…いやアレは…。

 

アンジャッシュ児嶋

間違いなく今回の映画で株を上げたのでは…?

TV本編ではどうしても嫌味なキャラとして目立っているし、常に或人を社長の座から引きずり降ろそうとしてる描写が目立つのでどうも好きになれない人は多いかもしれない。

しかし今作は是之助社長や夢へのリスペクトや熱い思いがかなり描写されていた印象。社長が襲われた時も必死に助けようとしてたし、本当に良い人だった。

 

或人に対してもこの時間軸では嫌味を吐く事なく一人の人間として接していたように見える。となると、TV本編(本来の歴史)ではどうしてああなってしまったのだろうか…?もちろんふさわしくないのにいきなり社長に任命された或人に対し思う所はあるだろうし、あの接し方はまだ理解できる。しかし映画ではあった「情熱」みたいなのは本編に見られない気はする。描かれ方がアレなだけで、会社に対しては普通にどの社員よりも熱いのかもしれないが。

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ある意味では昭和と平成と令和が混ざり合う今作、ライダーの映画はこれからも作られ続けるだろうが、これが唯一のそういった作品になるのだろうか。そうだとしたらとてもメモリアルな作品なのかもしれない。

 

と、感想を頑張ってアウトプットしてみたが、ゴチャゴチャしてますね全体的に。こういう文章力というかアウトプット力というか、数をこなして鍛えていくしかないんだろうか。俺も令和はがんばるぞ!

 

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