あまりにも忙しすぎて記事にするレベルの作品感想を書くためのブログを活用できてないし、そもそも魔法少女以前にプリティでキュアキュアな方の魔法少女の感想が止まりまくっているのではあるが、久々に使いますよ…このブログ。
というわけで『叛逆の物語』から13年ぶりとも呼べる『まどマギ』の新作映画『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉』を観ました、初日に急いでね…。本当に忙しいので記事としての体制は、そこまで整えないようにします…。
なんか公式はネタバレ防止のためにふせったーの使用を推奨してる上にコラボまでしてるみたいだが、ふせったーって万が一でサ終したら全部消えるしバックアップもし辛そうなんですよね。
それは良くないので、こっちに書き留めた方が良いじゃろう…という判断。というか、このブログの目的の一つがそれである。はてブも似たようなもん?それはそう。
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作品と関係ない語りはさっさと置いといて『まどマギ』は2011年の放送当時にTV本編は追ってたし、もちろん叛逆も見た。
初期のスピンオフ漫画とかは買ってたが、マギレコとかその辺は遊んでないので(TVアニメは見たけど)、まぁ約10年の間に展開されていた諸々は深く追ってたわけではないぐらいの距離感。
『叛逆の物語』の終着は…かなり好き。いやまぁ最初は困惑しかなかったけど…。でも『まどマギ』自体が暁美ほむらの物語であると考えているし、ほむほむが抱いてきた感情を踏まえれば、すごく美しい着地だったと思うんですよね、アレ。
じゃあ、巷で言われるような「叛逆の終わり方が好きな人は廻天には"否"になってしまう」は俺は違うと思ってて、別に俺は叛逆のあの終わり方が普通にアレで終わるとは全く思ってなかったので、叛逆の結末だって覆されるだろうなぁ…とは考えていた。
(虚淵的には叛逆の先は考えてなかったらしいが、それは置いといて)
結局は「こういう結末になって欲しい」よりかは「キャラクターに一貫性があるかどうか」という話なんだと思う。その点で『廻天』はビックリするぐらい、その一貫性の有無自体を自覚的に扱っていた映画だった。
さやかがほむほむに「お前そうじゃないだろ!お前だけは…まどかを諦めるなよ!」と発破をかけるシーンとかがわかりやすい。
そして本心を自覚して、まどか本人にストレートにぶつけることができたほむほむの姿に、叛逆の結末を部分的に肯定する熱さがある。そういった点では『叛逆』のアフターとして満足の行く映画ではあったと思う。
そういった良い描写があった一方で、あの「いっけえええええええええええええええええ暁美ほむらあああああああああああああああああ」という最後の山場に、そこまで感情が乗らなかったというのも事実。
結局ほむほむは玉砕するだけして、まどかは円環の理に戻っちまったから……とかではなく、正確には感情が追いつかなかっただけかもしれない。というのも感情が追いつくほどにわかりやすい構造をしている映画ではないと強く感じた。
この映画はとにかく、描写が抽象的すぎるのである。いや『まどマギ』とかシャフト自体がそういう作風だから…というのはわかるんだが、それにしたって今回は尖りすぎ!!!!あ、作品の良い部分自体は普通に多いので、後でもうちょっと書くよ。
まぁアレっすね…映画を観てる最中は「どういうこと?」「こう考えりゃ良いのか?」「行動原理、何?」という疑問に脳のエネルギーが奪われるので、本来は生ずるべき感情に至らなかったんじゃないかなと思った。
もちろん俺の場合はそうだったというだけで、このシリーズをずっと深く追ってるようなファンは、その限りではないんだろうな、というのはわかる。
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個人的に致命的なのは、記憶を失ったとしてもまどかの性質は変わっていないよという軸を中心的に描いてるはずなのに、その根拠となるまどかを取り巻く日常や友人・家族との関係描写が、かなり希薄だったのでは?ってところ…なのか…?
今回の舞台が夢なのか現実なのか曖昧なのは『叛逆』に引き続きではあるが、それにしたって見滝原や住人が最初からなかったかのようなレベルの滅茶苦茶な世界改変や暴れが起きてたじゃないですか。
なので、自己犠牲してでも思いやりを持ったまどかが「それでもデビルほむらのエゴを押しのけて女神という舞台装置に戻ろうとする」という話への因果(根拠)が、この映画内では重視されてないように感じちゃったんすよね。
じゃあ、その辺をこの映画で十分に描けたかと言われると、恐らくそれも難しいと思ってて…。だって新キャラが3人も登場するもん。
俺にとっては「ねぇ……!!誰なの?怖いよおッ!!」が続く中で、3人の背景を描かないといけないし……『叛逆』でヌルッと初登場したなぎさについても描かないといけない…。
まどかが突然ヒスる丁香を通して、魔法少女の存在、そして呪いの前にあった苦しみを理解していく流れ自体があったのは、せめてもの救いかな。
なんか「新キャラ3人がいなくても成立する話じゃね?」という感想を見かけたが、そこはむしろ逆で…丁香に限らずまどかをもうちょっと新キャラの内面に踏み込ませる構成が見たかったかもしれないな~。
よりによって丁香の内面に踏み込んだ背景説明も、すっげえ抽象的で「つまり…どういうことだってばよ?」状態になってしまうもんだから、やっぱノリ辛くなっちまうんすよね。
2人の新たな魔法少女
— 魔法少女まどか☆マギカ (@madoka_magica) 2026年4月30日
◆紫丁香(し ちょうか)
CV:若山詩音
◆セルマ・テレーゼ
CV:黒沢ともよ#まどかマギカ pic.twitter.com/ymFHhsRo8I
一方で新キャラ達のミステリアスっぷりや、愛嬌みたいなところは、すごく良かったと思う。
特にセルマちゃんなんかは行動原理があまりにもわかりやすい。まさかのQB信者&円環の理アンチ……!!!!序盤でQBに対して妙に好意的な感じだったが、ちゃんと裏付け取れるようになってるんすね~。
シリーズ通しての黒幕ではあるので忌み嫌われてるQBだが、目的とか言動自体はわりと真っ当な部分もスルーできないという風潮があったと思うんだよね。
セルマちゃんは、まどマギファンが常々思っていたその部分をまさに拾ってしまったキャラクターだし、ビジュとか言動の可愛さもあって人気めっちゃ出るんじゃないかな~と思うぜよ。なぎさに処されたからもう二度と拝めなさそうだけど。
マルゲリータ……じゃなくて何だっけ…名前を覚えてほしいとか言ってたけど俺は名前忘れたさん、なんかワスって呼ばれてるみたいだしワスで呼びます。
この子もビジュとか言動的にアナザーほむら…か…?マジで誰…?と思わせておいて、そ、そういえばこの映画は「ワルプルギスの廻天」だった…!と思い出させる真相開示で良かったですね。
呪いは元々個性豊かな魔女の形を取ってなかったとか、名塚底根とか、間違いなく後付け設定すぎるとは思っちゃうんだけど、それはそうと「ワルプルギス自体は魔女の集合体」という元からある設定を上手く活用した存在だと思います、ワス。
まどかと似た願いを抱えていたというのも振り返ってみればわかりやすいし、魔法少女にまつわるシステムを捻じ曲げた存在という点でも似ている。
そしてTV本編ラストでいなくなったはずの「魔女」が、そもそも本当に悪性の存在と言えるのか?という点も含めて、人間は良いことも悪いことも全部含めて今という生を成すんだよという話の広げ方は、希望を抱いて絶望に陥った魔法少女の生き様の肯定なんですよね。
だからこそ「ワルプルギスの廻天」というタイトルの意味が効いてくる。結局、まどかもほむほむも過ごしてきた人生や交わした約束を忘れることはできないし、消し去ることもできない。そこに希望があろうが呪いもあろうが、叛逆からさらに廻天して双方が向き合う必要があるんじゃないかと。
後付けだろうけど、TV本編でも叛逆でも深く掘り下げられなかったワルプルギスという存在を思い出すからこそ、まどほむの中に在り続ける根っこも思い出される、という構造だし、同時に世界観の広がりを感じる。
一方でもうシステムをどうハックして、QBの達成しようとしてる目的と、魔法少女達の気持ちの折り合いを付けるかの話しか展開できない気はする。
今回やったことって結局のところは『叛逆』の構造を逆転させたってだけなので、これ次また同じことやっても仕方ないと思うんすよね…。
今度はほむほむがまどかの手で、夢みたいな世界に溺れることになってしまったかもしれないラストも含めて、今のところは本当に同じことをやってるって感じだけど。
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総評としては、キャラクターも一貫してるし物語としてやりたいこともわかる。ただ、尺とか抽象的すぎる表現のせいで、謎がこちらの感情を上書きしてきてるのが、すげえもったいね~~~~みたいな作品だと思います。
一方、さやかも「誰が誰と戦ってんの!?」みたいな感じで叫んでたあたり、作ってる側も天然でやってたわけではなさそうなんだが…。
そもそも続編前提すぎる作りだから(商業的な意味でも)、今回の映画で感慨深く終わった感で楽しむのは元から難しいんじゃないか?いや終わってないでしょこれ。
「最終盤の山場はッ!コネクトを流すべきだろッ!」みたいな感想も見かけたけど、ぶっちゃけ流されても「いやまだ早くね?むしろ流したら微妙じゃね?」だと俺は思います。
結局ほむほむの感情的な願いがまどかに拒否されちゃうんじゃ、コネクトに泥を塗る感じになっちゃうし。
むしろ今回の映画は「溜め」であるべきで、まどかの願いに遡るならTV本編の「キュゥべえに騙される前のバカな私を、助けてあげてくれないかな」を次回で再び遂行した方が収まり良さそうに思えるんすよね。どうせQBは変質した円環の理を悪用するんでしょうし、多分。
この記事でとりあえず吐いておいた部分じゃ収まりきれない程の何かは、間違いなく『廻天』にまだまだ含まれているはずなので、2週間後のネタバレ解禁後にでも、もう1回は映画を観ておきたいなぁ…。
ただ、その前にTV本編と叛逆を改めて見た方が良い気もしつつ、時間が絶対ねえからな~~~なんか今回の映画で使わなくなった(使えなくなった?)時止め能力を俺にくださいよ、暁美ほむらさん…(雑な締め)
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