まぎかる゜火葬場

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【第2期放送直前SP!!!!!!!!!!!!】まほプリ、俺を置いて行かないでくれ

(※まほプリ、スタプリの間接的なネタバレがあります。回れ右!)

 

果たしてここは現実なのだろうか?幻想???????????????????????????????????????????????

 

2025年1月11日26時、本日深夜…遂に『魔法つかいプリキュア!!~MIRAI DAYS~』の放送が開始する。長く続くプリキュアシリーズの第13作として2016年2月に始まり、翌年の2017年1月の放送終了までの1年を駆け抜けた『魔法つかいプリキュア!』の正統続編、つまり「第2期」である。

今では1年単位でタイトルも舞台もキャラクターもリセットされるのが当たり前なシリーズではあるが、第2期の概念が存在するプリキュア作品は初めてではなく、初代や5もタイトルをマイナーチェンジして続きが放送されていた。しかし、キャラクターの成長した後をガッツリ描く、現行作と別の…それも深夜枠で放送される「第1期のその後」というのが話題になっている通り、それらとは全く異なる第2期だ。*1

 

信じられなかった。今でも信じられない。ちょうど2年前の2023年3月に制作発表された時のことは手に取るように思い出せる。

公式リリースを目にしたのは外出中(ポケモンを捕まえに…)の出来事だった。5の主人公である夢原のぞみを中心にプリキュアの成長した後を描くオトナプリキュアの制作発表の報せが届き、当時プリキュア5を未履修だった俺は「ほ~ん…プリキュア公式も遂にそういうのやるんだな~~~」と軽い気持ちで詳細リンクを開いたら………最後になんて書いてあったと思う?魔法つかいプリキュア!2(仮)』も制作中だよ!wだってさ。

 

もうね、アホかと。馬鹿かと。お前らな、そんな重要な報せをサラッと書くんじゃねーよ、ボケが。MAHO吉野家コラボ待ってます。

こっちは外で歩いてる最中なんですよ。急に身体が静止したかと思えば、顔や全身が震え始める。手足に異様な痺れが帯びていき、まともに立つのが精一杯な状態になってしまった。それまでいた俺が立っている現実という地面がドロドロと液状化し、全ての感覚が奪われるという体験………死が眼前に迫るというのはこういうことなのか。

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■第1期の体験を振り返る

このブログやSNSで何度も発信している通り、まほプリは俺にとって特別な作品だ。あまり作品に序列を付けたくないし、序列を付けるのは呪いと化すので、あえて「一番好きな作品」とは言わないが、それでも今の俺を構成するウエイトが大きいのはまほプリであり、特別な作品であることは変わらない。ちなみにトロプリもこの辺に入ってます。

 

話の脱線を重ねてしまうが、プリキュアシリーズを初めて認識したのは、やっぱ2004年放送開始の初代なのだが別に見たことなかったし、接点があったとしたらネット上はFLASH黄金時代(これ伝わるかな…)だったので、初代プリキュアOPをパロったFLASH動画ぐらいだった。

その次の記憶にある接点は映画館でフレプリに登場するキュアパイン等身大パネルに出会ったことだろうか。キュアパインが可愛すぎて一目惚れした。俺のプリキュア初恋はキュアパインと言って良いだろう。そのわりにはフレプリ未履修じゃねえかお前。いうて別にそれでシリーズに興味を持つということはやはりなかった。

 

転機は2012年だろう。それまで興味があまりなかった平成ライダーを追い始め、2011年開始の『仮面ライダーフォーゼ』から続く形で、ニコニコ動画でも東映特撮の無料配信が始まった時期。詳しい経緯は覚えてないが、恐らくニチアサその物への興味を持った流れで当時の『スマイルプリキュア!』からシリーズを追い始めたのだと思う。

全てが新鮮で面白かったスマプリ、もちろん次作のドキプリ以降も見続けていたが、プリキュアシリーズに限らず、当時はとにかく作品を今のように真面目に見てはいなかった。ただただ、流される本編を齧り付く形で視聴して、あ~楽しかった!ぐらいの距離感。

別にそれが悪いことだとは全然思ってない。エンタメへの向き合い方としては一般的だし、歳を取ってくると作品にエネルギーを費やすという行いが本当に辛くなってくるので、正直なところ昔の俺が羨ましい。

 

そんなこんなでスマプリからドキプリ、ハピチャ…そして『Go!プリンセスプリキュア』をそういう軽い距離感でリアタイしていき、遂に2016年に突入。全く関係ないのだが2016年は幻のカルトアニメ『星の子ポロン』を巡って大きな動きが始まった年なので、本当に俺にとっては思い出が深すぎる、今でも戻りたい年である。

 

2016年の『魔法つかいプリキュア!』はどうだったのか。信じられないと思うが、実のところ普通に同じ感覚で本編を見ていた。ただ、みらリコに「百合」を見出し、ゲヘッ…ゲヘッ…とキモい感情を抱いてはいた。百合豚に踏み込むぐらいのアレはあったが*2、別にそれは他の作品も一緒だったので、まほプリが特別だったわけではない。

 

作品に感じる尊さも、感動も、一般的。それもそのはずで、まほプリは他の作品と比較して、とにかくひたすら「日常」の垂れ流しの連続だ。縦軸がないわけではないし全然それはあるのだが、カメラがフォーカスしている部分としては横軸の比重がとにかく強い。縦軸を認識する概念すら当時の俺にはなかった。

誰かが例えた「ホームビデオを見せられている感覚」という表現はすごく腑に落ちる。もちろんそれが悪いわけではないし、全然それは楽しめる物だ。

 

2016年が終わり、プリキュア恒例の新年とともに「最終盤」が始まる2017年1月。吸い慣れすぎた空気だ。

なんか…2つの世界を混ぜてくる敵(当時のフワフワ解釈)との最終決戦。そこに特別な意味や感情を持つことはなく、いつも通りに神の視点で見ている中で、敵との決着が遂に付く「第49話」が放送される。そう、あの伝説の49話である。放送されてしまった…と表現すべきか。

 

………今ではそんな感覚は全くないが当時のプリキュアシリーズは基本的にプリキュア達の時間は「止まっている」のが当たり前だった。ガッツリ描かれたとしても1年後とかそのぐらいだし、プリキュア達の成長後の姿を描く場合は「カメラの解像度を低くして短く描写する」に留まっていた。子供に向けているシリーズなので、あくまで子供が主体の物語にする必要があるという判断なのだろう。それが普通だったのだ、当時は。

 

49話はそこを遂に壊してしまった。中学生で止まっていたはずの朝日奈みらいの「時間」が遂に動き始めたのだ。リコ達と一緒に当たり前のように歩いていたはずの見慣れた道を映しながら、たった独りで中学生から高校生、そして大学生への変化が描かれる。そして始まる成長した朝日奈みらいの物語…。

 

ハッキリ言って信じられなかった。あまりもの衝撃に一緒にリアタイしてた弟と一緒にテレビに齧り付いた。何が起きている?これは現実………?

 

まほプリが最終盤で数年後が描かれる作品だというのは、今や公然のネタバレかもしれないし、今のシリーズを踏まえれば珍しいことではないのかもしれない。なんて言ったって、みらいのCVである高橋李依SNSのヘッダーをずっとそれにしているのだから、ネタバレを撒き散らしているような物だ。

だが俺が言いたいのは、当時の俺を含むプリキュアファンにとっては、とにかく衝撃の描写だったということ。マウントを取って申し訳ないのだが、その衝撃の空気感でヒリついた状態で見る49話はとにかく特別な体験であり、後追いでは非常に感じにくい部分なのだ。

 

作品を完走した人にはわかるだろう………そして始まる「時間が進んでいても時間が止まっている者の、とにかく純粋で、とにかく叶わない事象への、必死な願い」。

俺の中の全てが決壊してしまった。決壊したんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

俺は今まで何をしていたんだろう。直前までの俺の身体って本当に存在していたのか?そう、何もかも、俺という存在が一から作り変えられた、そういう感覚を49話で得てしまった。

初めての体験だった。一つの作品の1エピソードで…ここまで殴り殺され粉々に粉砕したのは。我慢できず漏れ出す嗚咽を弟に聞かせる情けない醜態をとにかく晒しまくった。弟も同じ状態だったけど。

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■脱力、そして再び熱に魘される

こんな物を見せられて、果たしていつものように次作に気持ちが切り替わるだろうか。無理に決まってる。無理なんかい。プリアラは結局いつものようにボケ~とした感じで普通に見ていた。

ただ、前までと異なるのは「脱力感」に起因しているというところだろう。激情の後の反動という点で決定的に違う。一応プリアラは普通にリアタイで完走したものの、その後のHUGは2話以降は見ない状態になってしまった。遂に初めてリアタイしない作品が出てきてしまったのだ。*3学業や他の活動が忙しかったのもあるが、なんというか俺の中で時間が止まってしまったのかもしれない。みらいの中だけで時間が止まってしまっていたのと同じだ。俺の中だけでクライアス社の野望が実現している。

 

スタプリは視聴を再開した。後から知ったことだが、まほプリと座組が似ているっぽいし、シリーズ構成を担当した村山さんも両作品の繋がりは意識しているそうだ。

 

スタプリは確かにまほプリと要素が似ている部分が多く、そして1話1話の平均値もエンタメとして洗練されているように感じた純粋に面白い作品だ。テーマもすごくわかりやすく描写されており、特にえれなの回が俺は一番好きだし、普通に泣いた。かなり期待を寄せていた作品と言える。

 

だが迎えたスタプリ最終回、どういうわけなのか俺は落胆に見舞われてしまった。

詳しく書くと長くなるし直接的なネタバレは良くないので要約するが、スタプリ最終回の展開は、まほプリのそれと共通点が多い。踏襲してるかまではわからないが。

同じように詳しくは書かないが、それ故にまほプリに感じた激情と比較して、どうしても腑に落ちない部分がある最終回だった。まほプリ以降は恒例となった本編最終回に挟まれる形の次回作引き継ぎ(俺は「まほプリが遺した呪い」と呼んでる)がスタプリにおいては物凄くノイズになっていたという点もある。

 

ハッキリ言って納得し難かったと同時にショックだった。

言っておくが、まほプリに比べてスタプリは良くなかったという話ではない。むしろ逆だ。道中に関してはスタプリの方がまほプリより熱を感じられた作品だったからこそ、共通点が多い最終回に同じような感情が湧かなかったことに強い悔しさを感じたのだ。

 

どうしても納得しきれず…ネット上の考察や感想を調べた。そしてようやく理解した、俺は作品を真面目に見なすぎたんだなと。原因は作品の構造への「無理解」だったのかもしれない。作品その物というより、俺の視聴の仕方。これはいつかスタプリにリベンジせねばならん。

 

だが、ふと湧いてくるのは「じゃあ俺は何で…まほプリにそこまでの感情を抱くことができたんだ?」という疑問。真面目に作品を見てなかったのは当時も一緒のはずだったじゃないか。そういうことも含めて、まほプリへの熱が当時以上に沸々と湧き上がってくる。

というわけで、スタプリの放送が終了した2020年は…とにかくまほプリの資料を買いまくったり、インタビュー記事を読みまくったりすることで、まほプリの理解を深めていた。ついでにあまりにも作品を摂取したくて二次創作や同人誌とかにも手を出しまくった。めちゃくちゃかき集めましたよ…。

 

全てを読み終えた時、まほプリという作品がハチャメチャに計算尽くしで構成された作品だったという理解を得ることができた。深くは描いてない部分が多いのだが、サブリミナル的な緻密さがあり、無意識に俺の中で積み重ねられていたそれが49話で一気に大爆発するカタルシスがあったということなんだろう。

これ以降はプリキュアシリーズを1話1話、もうちょっと真面目に見てみて、アウトプットを試みてみようという気持ちになった。そう、今の俺っすね!!!!!!

 

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▲熱に突き動かされるままに、こんなのも当時書いた(今だと書き直したい部分が多いが、当時の俺のできる表現というのは遺すべきなのでそのままにしたい)

 

感想をアウトプットすることで新たに気付く部分があり、これによってヒープリ以降はすごく作品を楽しめるようになったのは事実だ。ちょうど同時期に別ジャンルで親交のあるフォロワー達が、どうやら俺の投稿をきっかけにプリキュアやニチアサ作品に興味を持ってくれたらしく、中には今でも関連イベントに同伴する人達も少なくはない。

それはすごく嬉しいし、決して否定してはいけない繋がり等であることは間違いないのだ。

 

だが………やっと本題に入れるかもしれない。まほプリへの理解を深めると同時に、熱に魘されるようになってしまった。魔法を追いかければ追いかけるほど、この奇跡が既に終わってしまったことへの悲しさ、そして新しい供給を求める切望が肥大化していく。まほプリは当時の時点で既に供給が過剰すぎるぐらいに多かったのに贅沢な話だなオイ…。

各種インタビューや二次創作などを読んでる時期は、本当に脳みそが物理的に熱くなり、呼吸困難になった。49話を思い出す度に情緒不安定になるし、もうその後が描かれないという事実にも苦しくなる。作品への気持ちが呪いになってしまうのは本当に良くない!!!!!!!!!!!!!

 

だから、プリティストアでの供給やシリーズ20周年イベントの時は、そりゃもう絞りカスを啜るように積極的に出向いた。もう二度とまほプリでこれ以上の大きい供給はねーぞ!今大事なことをやるぜ!と言わんばかりに。

あと散々書いた通り、2016年の放送当時は今のようにプリキュア関連イベントに積極的に出向いていなかったので、その時に逃してしまった体験への悔みがすごくある。もうあの時は戻って来ないのに、俺は過去に囚われてるんだ…。

 

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▲まほプリショーの再演は本当に俺にとってありがたい出来事だった…!(絶対この記事と同じこと書いてる)

 

そんな中でやはり…まほプリ単体の映像供給というのは求めてしまう。事実、作品のプロデューサーを務めた内藤Pも作品書籍のあとがきで暗号的に「まほプリ2期への望み」を書いており、俺だけじゃなくファンの中で第2期には藁に縋るような思いがあったのだ。主語デカいな。

あとスタプリ以降に始まった感謝祭のようなイベントが過去作にもあればな…と、一応プリキュア公式のアンケートに毎回書き連ねていたりしてた。言うだけならタダだからな!

 

だが現在のプリキュアシリーズにおいて、そんな物は現実として実現し得ないという思いもあった。第2期なんて夢のまた夢、あったとしてもOVA的な感じで1話か2話作られればマシだよな~と思いつつ、OVAだって1話作るのにどれだけの人と金を動かさないといけないんだというアレもあったので、本当に諦めてた。そりゃもう、49話のみらいの気持ちがすごくわかる…痛いほどわかってしまう…。

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■だが奴は…弾けた

     ユメ
"幻想"じゃないよね…!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

願いを言葉に、言葉は魔法に、魔法は奇跡を起こす。

有言実行するヤツがいるか!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!いたわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

まほプリの放送が終わった後、春頃の十六夜に思いを馳せながら数年。魔法への信じる気持ちに限界が近かった朝日奈みらいのような状態のファンの前に突然現れた奇跡…。

この後は長期間、新情報がなかったので、またモヤモヤな気持ちになるんだけど………アレ…これもしかして第2期の冒頭でみらリコがその後も半年ぐらいは会ってなかったヤツと同じ…!?

ハッキリ言って作品への不安はたくさんある。「期待:不安=2:8」ぐらいには。この不安は新情報がないまま待たされた間も膨れ上がるし、予告が公開された後も無限に膨れ上がる。どうしようもない。こんな奇跡に対して、贅沢な話だ。

 

まず…あんなに第2期を切望しておいて何をという感じだが、まほプリは第1期で完結している。HUG本編のAS回でちょっとだけその後が描かれたりした例外こそあったものの、もうこれ以上の続きをガッツリは描かない前提で最終回となる第50話も作られている。

2つの世界の命運、MAHOガールズを通して描かれた世界の在り方というメインテーマが、デウスマストとの最終決戦を経て完結したというだけではない。例えばその主題を守るのであれば、存在その物が魔法であるはーちゃんは、みらリコ達とナシマホウ界で暮らし続けることは実は難しい。

最終回でソルシエールやクマタがカメオ出演したようなファンサービスの数々の整合性で言えば、校長の背後にいた復活したような演出のクシィもそうだ。アレは「もう続きを描くことはないので、ご想像にお任せします」という粋な演出なのだが、正当続編によってそこを間接的でも無粋に確定させないといけなくなる。

せっかく「かつての時間」を取り戻したMAHOガールズに再び危機が迫るのも正直…苦しいことなのかもしれない。あと、みらリコの婚姻の成否。

 

そして「二つの世界」という第1期のテーマに対比するかのような「二つの時間」というキャッチコピー………狙われる時間………明らかにアナザーモフルンウォッチを入れられてるようにしか見えない風貌のクマのぬいぐるみモチーフの怪物………衝撃が最も凄かったのはMAHOガールズの輪に新たに迎え入れられると見受けられる謎の少女・ひすい(ひーちゃん)の存在だろう。第2期第1話が始まる前に提示された僅かな材料だけでも、すごく不穏な匂いしかしないモフ………。

 

第2期を制作する座組もそうだ。現時点で確認できる情報だと、シナリオなどに関われる方々で前作から共通しているのは内藤Pとシリーズ構成の村山さんしかいない。

まほプリのインタビュー記事を読み漁って、まず感じた懸念は「三塚SDの名前が見えない」という点だ。この方はかなり………物凄くまほプリの方針へのウエイトが大きいスタッフだと思う。そこが第2期では変わってるので、内藤Pと村山さんが如何にして第1期の踏襲を良いバランスで行えるかに懸かっているだろう。

なお、座組としてはどちらかというとオトナプリキュアに近いみたいだ。オトナプリキュアの評価は賛否両論…かくいう俺も良かったところはすごく良かったし、悪かったところはすごく悪かったと思った。

 

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こんな感想記事も書いたことがあるが、ただ記事内にもある通り、オトナプリキュアは実はすごく計算がされた作品であり、縛りの中で出来ることを最大限突き詰めた作品であると思う。全てはSDGsから始まったのが良くない!!!!!!!!!!!

なので、その無茶な縛りが薄いと見受けられるまほプリ正統続編でも、極端にキャラクターや物語が歪められるということはないんじゃないかとは思っている。オトナプリキュアは完結した物語のその後を描くという方針に不安を残した作品でもあるが、同時に俺にとっては「この点は揺らぐことはない」という信頼を残した作品でもある。

 

その裏付けとして、続編を描く懸念として上述した「はーちゃんはみらリコ達とナシマホウ界で暮らすのは難しいのでは?」という疑問は第2期のあらすじで「3人はそもそも50話の後はそれぞれの世界で頑張ってるので、しばらく会ってない」という理屈的な回答がなされた。

ファン心情としては「(物理的な距離でも)ずっと一緒にいて欲しい」を選択する余地もあったはずだが、作品テーマに真摯になるならそうではないということになったのは、寂しさを覚えると同時に、続編を真摯に描くというメッセージと俺は前向きに受け取った。

 

そして第2期放送前の各種インタビューを読む限り、第1期という「過去」に向き合う「現在」のみらリコ達が、かつての物語や思いを肯定しながら「未来」へ進む話だということが推察できる。これは第2期のスタッフ陣も第1期をしっかり分解して要素を分析しなければ間違いなく成り立たない主題のはずなので、プロの方々に思いを託すしかないだろう。

これはまさに、スタッフやファンである我々も「過去」に向き合い「未来」へ進む話である。このバカみたいに読み辛くて長い記事を律儀に全部読んだ方なら何を言いたいのか伝わってると信じたいのだが、第2期に向き合うという行いは、まほプリ第1期…ひいてはプリキュアシリーズに向き合い続けて数々の感情と繋がりを得た過去の俺の肯定なのだ。つまり俺は、朝日奈みらいが見上げる十六夜にかつてないほどの気持ちを擦り合わせている。わかるか、お前ら。知らねーよ。

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■そうは言うが

とてもしんどい。

ハッキリ言って、今から俺も時間を狙いに行って第2期の制作発表をなかったことにしたい。苦しい愛おしい悩ましい。

願いから魔法を追い求め続けた結果がこの苦しみなのであれば、願いには本当に多大な責任が求められるということで、反動は無視できないということなのだろう。自由は素敵と言ってもルールはありますお約束なのだ(?)

 

第2期という幻想の実感が湧かなかったり湧いたり嬉しかったり辛かったり情緒不安定なのだが、一周して現況があまりにも都合が良すぎて実感が湧かないのにはもう1つの理由がある。第2期にまつわる二次展開の数々だ。

第2期の放送が近づいたため、何かしらの連動施策が始まるというのは当然なのだが、まほプリの場合はあまりにも集中的にたくさん来やがる。瞬間風速なら現行作以上だ。

 

(※ほんの一部です)

 

上述した通り、俺はまほプリの二次展開は泥でも何でも良いから可能な限り啜ってやるという気持ちだったし、それで満足感は得られていた。そして新たに供給の報せがあれば、メチャクチャにはしゃいでた。

だが今はどうだ!!!!!!!!!!!せっかくのまほプリ供給があっても「う…うプ………」とリバースしてるし、喜びの感情が湧かなくなってしまった。財布だって無尽蔵ではない…。

信じられない………この俺が…俺様が………まほプリの供給に対してそんな感情を抱くことになるなんて………。良し悪しはさておき、コンテンツへの向き合い方が不本意に変わってしまった一例だろう。

 

そして時間が止まっているそんな俺を無視して、世界の時間は進み続けている。フォロワーはまほプリを追走・再走しているし、第2期発表の影響で信じられない数の方々が、まほプリを追っている。俺はなんだかんだでまほプリ本編を最後に見たのはMXの再放送なので7年前なのだ。

 

恐らく、みんなの方がまほプリ本編という果肉部分に詳しいし、作品を直近で見た熱で各種展開にアンテナを張りやすい…。

第2期の先行上映会や情報のRT数を見た時は目を疑ってしまった。まほプリは確かに特別な作品だが、俺の知ってるまほプリはここまで人気はなかった…。NHKの大投票でも何とも言えない順位だったので(モフルンを除く)、一部層が熱くなってるのが目立ってただけなのかなとすら思っていた。

結果的にどうだ?先行上映会の倍率がヤバイことになり、俺もフォロワーも落選するなんて事態になってしまった。追い求めてる時は何もないのに、あちらから近づいたら近づいたで「得る」ことはできない…本末転倒じゃねえか!!!!!!!

 

そう、とにかく…まほプリを巡る世界のスピードがあまりにも速すぎる。俺はまだ時間が止まってるんだ勝手に時間を進めないでくれ………まほプリ、俺を置いて行かないでくれ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!やっとタイトル回収できた。

 

そういう数々の複雑な思い、感情、背景があるんですよ、まほプリ第2期に対しては。この文章、ちょうど2025年1月12日の1時に書いてるね。AMね。あと1時間で第2期の第1話の放送が遂に始まります。

果たして、この日が祝福の日になるのか、呪いが始まった日になってしまうのか、それは蓋を開けてみなければわからない。何度も言うが『魔法つかいプリキュア!』は俺にとって特別で、人生の根幹にも位置してて、絶対に代替の効かない存在だ。どうか、願いに応えてくれ。俺も向き合う、向き合うよ………!!!!!!!!!コイツ1回プリキュアから離れた方が良いんじゃねえかな傍から見たら普通にヤベー奴だよ。

 

というわけで以上です。軽い気持ちで書くつもりだったのに、恐れていた通りクッソ長くなってしまった…。

第2期を見ることで、第1期への感情などが全て変わってしまう可能性があります。そうなる前に絶対…変わる前のそれを書き残しておきたかった。だって変わったら思い出せなくなってしまう。本当はこんなの書いてる暇はないんですけど、どうしてもという意地で半日で終わらせる殴り書きになりました。かつての自分と別れる可能性と覚悟!!!!!!!!!!!

 

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▲結局、やることになった…(もうダメだ…)

 

(11590字)


 

 

*1:オトナプリキュアは複数の作品が合併されている単独作なので、どちらかというと正統続編よりAS映画の文脈が強いという考えで、一旦ノーカンで。

*2:現在は一周して「百合」って表現も何か違うよな…という感情にはなっている。

*3:後にMXの再放送でちゃんと完走しました。